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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (23/52) 所用に随つて諸事を弁ずるは慈悲なり是を菩薩…
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第五 諸余怨敵皆悉摧滅の事

御義口伝に云く怨敵とは念仏・禅・真言等の謗法の人なり摧滅とは法華折伏破権門理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。

第六 若人有病得聞是経病即消滅不老不死の事

文句の十に云く此に観解を須ゆべしと。御義口伝に云く若人とは上・仏果より下・地獄の罪人まで之を摂す可きなり、病とは三毒の煩悩・仏菩薩に於ても亦之れ有るなり、不老は釈尊不死は地涌の類たり、是は滅後当今の衆生の為に説かれたり、然らば病とは謗法なり、此の経を受持し奉る者は病即消滅疑無きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

       妙音品三箇の大事

第一 妙音菩薩の事

御義口伝に云く妙音菩薩とは十界の衆生なり、妙とは不思議なり音とは一切衆生の吐く所の語言音声が妙法の音声なり三世常住の妙音なり、所用に随つて諸事を弁ずるは慈悲なり是を菩薩と云うなり、又云く妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今の不思議の音声なり、其の故は煩悩即菩提生死即涅槃の妙音なり云云。

第二 肉髻白毫の事

御義口伝に云く此の二の相好は孝順師長より起れり法華経を持ち奉るを以て一切の孝養の最頂とせり、又云


く此の白毫とは父の婬なり肉髻とは母の婬なり赤白二渧・今経に来つて肉髻・白毫の二相と顕れたり、又云く肉髻は随縁真如の智なり白毫は不変真如の理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此等の相好を具足するなり、我等が生の始は赤色肉髻なり死後の白骨は白毫相なり、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可し秘す可し云云。

第三 八万四千七宝鉢の事

御義口伝に云く此の文は妙音菩薩雲雷音王仏に奉る所の供養の鉢なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は八万四千の鉢を三世の諸仏に供養し奉るなり、八万四千とは我等が八万四千の塵労なり南無妙法蓮華経と唱え奉る処にて八万四千の法門と顕るるなり、法華経の文字は開・結・二経を合しては八万四千なり、又云く八とは八苦なり四とは生老病死なり七宝とは頭上の七穴なり鉢とは智器なり妙法の智水を受持するを以て鉢とは心得可きなり云云。

       普門品五箇の大事

第一 無尽意菩薩の事

御義口伝に云く無尽意とは円融の三諦なり、無とは空諦・尽とは仮諦・意とは中道なり、観世音とは観は空諦・世は仮諦・音は中道なり、妙法蓮華経とは妙とは空諦・法蓮華は仮諦・経とは中道なり、三諦法性の妙理を三諦の観世音と三諦の無尽意に対して説き給うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は末法の無尽意なり、所詮無とは我等が死の相なり尽とは我等が生の相なり意とは我等が命根なり、然る間一切の法門・境智


冥合等の法門意の一字に之を摂入す此の意とは中道法性なり法性とは南無妙法蓮華経なり、仍つて意の五字なり我等が胎内の五位の中には第五番の形なり、其の故は第五番の姿は五輪なり五輪即ち妙法等の五字なり、此の五字・又意の字なり仏意とは妙法の五字なり此の事・別に之無し、仏の意とは法華経なり是を寿量品にして是好良薬とて三世の諸仏の好もの良薬と説かれたり森羅三千の諸法は意の一字には過ぎざるなり、此の仏の意を信ずるを信心とは申すなりされば心は有分別なり倶に妙法の全体なり云云。

第二 観音妙の事

御義口伝に云く妙法の梵語は薩達摩と云うなり、薩とは妙と翻ず此の薩の字は観

音の種子なり仍て観音法華・眼目異名と釈せり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり、所詮観とは円観なり世とは不思議なり音とは仏機なり観とは法界の異名なり既に円観なるが故なり、諸法実相の観世音なれば地獄・餓鬼・畜生等の界界を不思議世界と知見するなり、音とは諸法実相なれば衆生として実相の仏に非ずと云う事なし、寿量品の時は十界本有と説いて無作の三身なり、観音既に法華経を頂受せり然らば此の経受持の行者は観世音の利益より勝れたり云云。

第三 念念勿生疑の事

御義口伝に云く念念とは一の念は六凡なり一の念は四聖なり六凡四聖の利益を施すなり疑心を生ずること勿れ云云、又云く念念とは前念後念なり、又云く妙法を念ずるに疑を生ず可からず云云、又三世常住の念念なり之に依つて上の文に是故衆生念と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて念念勿生疑の信心に住す可きなり煩悩即菩提生死即涅槃疑有る可からざるなり云云。

第四 二求両願の事