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日蓮大聖人・池田大作

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松野殿御返事  (6/6) 法師の皮を著たる畜生
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世には必ず救ひ給へと云ふ、一切の天人又来りて善哉善哉実に是れ菩薩なりと讃め給ふ、半偈の為めに身を投げて十二劫生死の罪を滅し給へり此の事涅槃経に見えたり、然れば雪山童子の古を思へば半偈の為に猶命を捨て給ふ、何に況や此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや何を以てか此れを報ぜん、尤も後世を願はんには彼の雪山童子の如くこそ・あらまほしくは候へ、誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。

とても此の身は徒に山野の土と成るべし・惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年には過ず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし、受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし、迹門には「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき・本門には「自ら身命を惜まず」ととき・涅槃経には「身は軽く法は重し身を死して法を弘む」と見えたり、本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、此等の禁を背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事・譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬は寒来りて草木・人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。

然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり、それも経文の如くならば随力演説も有るべきか、世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし、況や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢・霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待つて御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならば・あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし・金の繩を以つて八の道を界


へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず行くべからず、不審の事をば尚尚承はるべく候、穴賢穴賢。

  建治二年丙子十二月九日               日蓮花押

   松野殿御返事

松野殿御消息

昔乃往過去の古へ珊提嵐国と申す国あり彼の国に大王あり無諍念王と申しき、彼の王に千の王子あり又彼の王の第一の大臣を宝海梵志と申す・彼の梵志に子あり法蔵と申す、彼の無諍念王の千の太子は穢土を捨てて浄土を取り給ふ、其の故は此の娑婆世界は何なる所と申せば十方の国土に父母を殺し正法を誹謗し聖人を殺せる者彼の国国より此の娑婆世界へ追い入れられて候、例せば此の日本国の人大科有る者の獄に入れらるるが如し、我が力に叶はざれば哀愍せずして捨て給ふ、宝海梵志一人請け取りて娑婆世界の人の師と成り給ふ、宝海梵志の願に云く我未来世の穢悪土の中に当に作仏することを得べし、即ち十方浄土より擯出せる衆生を集めて我れ当に之れを度すべしと誓ひ給ひき、無諍念王と申すは阿弥陀仏なり、其の千の太子は今の観音勢至普賢文殊等なり、其の宝海梵志と申すは今の釈迦如来なり、此の娑婆世界の一切衆生は十方の諸仏に抜き捨てられしを釈迦一人計りして扶けさせ給うを唯我一人と申すなり。

                            日蓮花押

  松野殿


松野殿御返事

鵞目一貫文・油一升・衣一・筆十管給い候、今に始めぬ御志申し尽しがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。

先立より申し候、但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候、委細はいそぎ候間申さず候、恐恐謹言。

  建治三年丁丑九月九日                日蓮花押

   松野殿御返事

   追て申し候目連樹十両計り給はり候べく候

松野殿御返事

種種の物送り給い候畢ぬ山中のすまゐ思遣せ給うて雪の中ふみ分けて御訪い候事御志定めて法華経十羅刹も知し食し候らんさては涅槃経に云く「人命の停らざることは山水にも過ぎたり今日存すと雖も明日保ち難し」摩耶経に云く「譬えば旃陀羅の羊を駈て屠家に至るが如く人命も亦是くの如く歩歩死地に近く」法華経に云く「三界は安きこと無し猶火宅の如し衆苦充満して甚だ怖畏すべし」等云云、此れ等の経文は我等が慈父・大覚世尊・末代