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日蓮大聖人・池田大作

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十法界明因果抄  (4/11) 愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償…
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経を毀謗せば○常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」文、慳貪・偸盗等の罪に依つて餓鬼道に堕することは世人知り易し、慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依つて餓鬼道に堕することは智者に非ざれば之を知らず能く能く恐る可きか。

第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし」文已上三悪道なり

第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。

第五に人道とは報恩経に云く「三帰五戒は人に生る」文。

第六に天道とは二有り、欲天には十善を持ちて生れ色無色天には下地は麤苦障・上地は静妙離の六行観を以て生ずるなり。

問うて云く六道の生因は是くの如し抑同時に五戒を持ちて人界の生を受くるに何ぞ生盲・聾・瘖瘂・矬陋・癴躃・背傴・貧窮・多病・瞋恚等・無量の差別有りや、答えて云く大論に云く「若は衆生の眼を破り若は衆生の眼を屈り若は正見の眼を破り罪福無しと言わん是の人死して地獄に堕し罪畢つて人と為り生れて従り盲なり、若は復仏塔の中の火珠及び諸の灯明を盗む・是くの如き等の種種の先世の業・因縁をもて眼を失うなり○聾とは是れ先世の因縁・師父の教訓を受けず行ぜず而も反つて瞋恚す是の罪を以ての故に聾となる、復次に衆生の耳を截り若は衆生の耳を破り若は仏塔・僧塔諸の善人・福田の中の犍椎・鈴・貝及び鼓を盗む故に此の罪を得るなり、先世に他の舌を截り或は其の口を塞ぎ或は悪薬を与えて語ることを得ざらしめ、或は師の教・父母の教勅を聞き其の語を断つ○


世に生れて人と為り唖にして言うこと能わず○先世に他の坐禅を破り坐禅の舎を破り諸の咒術を以て人を咒して瞋らし闘諍し婬欲せしむ今世に諸の結使厚重なること婆羅門の其の稲田を失い其の婦復死して即時に狂発し裸形にして走りしが如くならん、先世に仏・阿羅漢・辟支仏の食及び父母所親の食を奪えば仏世に値うと雖も猶故飢渇す罪の重きを以ての故なり、○先世に好んで鞭杖・拷掠・閉繋を行じ種種に悩すが故に今世の病を得るなり○先世に他の身を破り其の頭を截り其の手足を斬り種種の身分を破り或は仏像を壊り仏像の鼻及び諸の賢聖の形像を毀り或は父母の形像を破る是の罪を以ての故に形を受くる多く具足せず、復次に不善法の報・身を受くること醜陋なり」文、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○若し人と為ることを得ては諸根闇鈍にして盲・聾・背傴ならん○口の気常に臭く鬼魅に著せられん貧窮下賤にして人に使われ多病瘠痩にして依怙する所無く○若は他の叛逆し抄劫し竊盗せん是くの如き等の罪横に其の殃に羅らん」文。

又八の巻に云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人は現世に白癩の病を得ん若し之を軽笑すること有らん者は当に世世に牙歯疎欠・醜き脣・平める鼻・手脚繚戻し眼目角睞に身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気諸の悪重病あるべし」文、問うて云く何なる業を修する者が六道に生じて其の中の王と成るや、答えて云く大乗の菩薩戒を持して之を破る者は色界の梵王・欲界の魔王・帝釈・四輪王・禽獣王・閻魔王等と成るなり、心地観経に云く「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳薫修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲○中品に菩薩戒を受持すれば福徳自在の転輪王として心の所作に随つて尽く皆成じ無量の人天悉く遵奉す、下の上品に持すれば大鬼王として一切の非人咸く率伏す戒品を受持して欠犯すと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為ることを得下の中品に持すれば禽獣の王として一切の飛走皆帰伏す清浄の戒に於て欠犯有るも戒の勝るるに由るが故に王と為ることを得、下の下品に持すれば閻魔王として地


獄の中に処して常に自在なり禁戒を毀り悪道に生ずと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為る事を得○若し如来の戒を受けざる事有れば終に野干の身をも得ること能わず何に況んや能く人天の中の最勝の快楽を感じて王位に居せん」文、安然和尚の広釈に云く「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る而も戒の失せざること譬えば金銀を器と成すに用ゆるに貴く器を破りて用いざるも而も宝は失せざるが如し」亦云く「無量寿観に云く劫初より已来八万の王有つて其の父を殺害すと此則ち菩薩戒を受けて国王と作ると雖も今殺の戒を犯して皆地獄に堕れども犯戒の力も王と作るなり」大仏頂経に云く「発心の菩薩罪を犯せども暫く天神地祗と作る」と、大随求に云く「天帝命尽きて忽ち驢の腹に入れども随求の力に由つて還つて天上に生ず」と、尊勝に云く「善住天子・死後七返畜生の身に堕すべきを尊勝の力に由つて還つて天の報を得たり」と、昔国王有り千車をもて水を運び仏塔の焼くるを救う自ら憍心を起して阿修羅王と作る、昔梁の武帝五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す、誌公云く「往五百に施すに一りの衆を欠けり罪を犯して暫く人王と作る即ち武帝是なり、昔国王有つて民を治むること等からず今天王と作れども大鬼王と為る、即ち東南西の三天王是なり拘留孫の末に菩薩と成りて発誓し現に北方毘沙門と作る是なり」云云、此等の文を以て之を思うに小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。

第七に声聞道とは此の界の因果をば阿含・小乗・十二年の経に分明に之を明せり、諸大乗経に於ても大に対せんが為に亦之をば明せり、声聞に於て四種有り一には優婆塞・俗男なり五戒を持し苦・空・無常・無我の観を修し自調自度の心強くして敢て化他の意無く見思を断尽して阿羅漢と成る此くの如くする時・自然に髪を剃るに自ら落つ、二には優婆夷・俗女なり五戒を持し髪を剃るに自ら落つること男の如し・三には比丘僧なり二百五十戒具足戒なりを持して苦・空・無常・無我の観を修し見思を断じて阿羅漢と成る此くの如くするの時・髪を剃らざれども生ぜず、