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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (38/43) 提婆は我等が煩悩即菩提を顕すなり、竜女は生…
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第七 言論未訖の事

御義口伝に云く此の文は無明即法性の明文なり、其の故は智積難問の言未だ訖らざるに竜女三行半の偈を以て答うるなり、難問の意は別教の意なり無明なり竜女の答は円教の意なり法性なり、智積は元品の無明なり竜女は法性の女人なり仍て無明に即する法性法性に即する無明なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは言論未訖なり、時とは上の事の末末の事の始なり時とは無明法性同時の時なり南無妙法蓮華経と唱え奉る時なり、智積菩薩を元品の無明と云う事は不信此女の不信の二字なり不信とは疑惑なり疑惑を根本無明と云うなり、竜女を法性と云う事は我闡大乗教の文なり竜女とは竜は父なり女は八歳の娘なり竜女の二字は父子同時の成仏なり、其の故は時竜王女の文是なり既に竜王の女と云う間竜王は父なり女とは八歳の子なり、されば女の成仏は此の品にあり父の竜の成仏は序品に之れ在り、有八竜王の文是なり、然りと雖も父子同時の成仏なり序品は一経の序なる故なり、又聞成菩提とは竜女が智積を責めたる言なりされば唯我が成仏をば仏御存知あるべしとて又聞成菩提唯仏当証知と云えり苦の衆生とは別して女人の事なり、此の三行半の偈は一念三千の法門なり遍照於十方とは十界なり、殊には此の八歳の竜女の成仏は帝王持経の先祖たり、人王の始は神武天皇なり神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり此の葺不合尊は豊玉姫の子なり此の豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり八歳の竜女の姉なり、然る間先祖法華経の行者なり甚深甚深云云、されば此の提婆の一品は一天の腰刀なり無明煩悩の敵を切り生死愛着の繩を切る秘法なり、漢高三尺の剣も一字の智剣に及ばざるなり妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり、提婆は火炎を顕し竜女は大蛇を示し文殊は智剣を顕すなり仍つて不動明王の尊形と口伝せり、提婆は我等が煩悩即菩提を顕すなり、竜女は生死即涅槃を顕すなり、文殊をば此


には妙徳と飜ずるなり煩悩生死具足して当品の能化なり。

第八 有一宝珠の事

文句の八に云く一とは珠を献じて円解を得ることを表すと。

御義口伝に云く一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり、妙の故に心法なり法の故に色法なり色法は珠なり心法は宝なり妙法とは色心不二なり、一念三千を所表して竜女宝珠を奉るなり、釈に表得円解と云うは一念三千なり、竜女が手に持てる時は性得の宝珠なり仏受け取り給う時は修得の宝珠なり、中に有るは修性不二なり、甚疾とは頓極・頓速・頓証の法門なり即為疾得無上仏道なり、神力とは神は心法なり力とは色法なり観我成仏とは舎利弗竜女が成仏と思うが僻事なり、我が成仏ぞと観ぜよと責めたるなり、観に六則観之れ有り爰元の観は名字即の観と心得可きなり、其の故は南無妙法蓮華経と聞ける処を一念坐道場成仏不虚也と云えり、変成男子とは竜女も本地南無妙法蓮華経なり其の意経文に分明なり。

       勧持品十三箇の大事

第一 勧持の事

御義口伝に云く勧とは化他・持とは自行なり南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり。

第二 不惜身命の事

御義口伝に云く身とは色法・命とは心法なり事理の不惜身命之れ有り、法華の行者田畠等を奪わるは理の不惜身命なり命根を断たるを事の不惜身命と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は事理共に値


うなり。

第三 心不実故の事

御義口伝に云く心不実故とは法華最第一の経文を第三と読み最為其上の経文を最為其下と読みて法華経の一念三千を華厳大日等に之れ有りと法華の即身成仏を大日経に取り入るるは此等は皆心不実故なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は心実なるべし云云。

第四 敬順仏意の事

御義口伝に云く法華経に順ずるは敬順仏意なり意とは南無妙法蓮華経是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは敬順仏意の意なり。

第五 作師子吼の事

御義口伝に云く師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり。

第六 如法修行の事

御義口伝に云く如法修行の人とは天台妙楽伝教等なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは如法修行なり云云。

第七 有諸無智人の事

御義口伝に云く一文不通の大俗なり悪口罵詈等分明なり日本国の俗を諸と云うなり。