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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (27/43) 智者愚者をしなべて南無妙法蓮華経の記を説き…
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御義口伝に云く酒とは無明なり無明は謗法なり臥とは謗法の家に生るる事なり、三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔い廻りて今謗法の家に臥したり、酔とは不信なり覚とは信なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時無明の酒醒めたり、又云く酒に重重之れ有り権教は酒法華経は醒めたり、本迹相対する時迹門は酒なり始覚の故なり本門は醒めたり本覚の故なり、又本迹二門は酒なり南無妙法蓮華経は醒めたり酒と醒むるとは相離れざるなり、酒は無明なり醒むるは法性なり法は酒なり妙は醒めたり妙法と唱うれば無明法性体一なり、止の一に云く無明塵労即是菩提と。

第三 身心遍歓喜の事

御義口伝に云く身とは生死即涅槃なり心とは煩悩即菩提なり、遍とは十界同時なり歓喜とは法界同時の歓喜なり、此の歓喜の内には三世諸仏の歓喜納まるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉れば我則歓喜とて釈尊歓喜し給うなり、歓喜とは善悪共に歓喜なり十界同時なり深く之を思う可し云云。

        人記品二箇の大事

第一 学無学の事

御義口伝に云く学とは無智なり無学とは有智なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは学無学の人に如我等無異の記を授くるに非ずや、色法は無学なり心法は学なり又心法は無学なり色法は学なり学無学の人とは日本国の一切衆生なり、智者愚者をしなべて南無妙法蓮華経の記を説きて而強毒之するなり

第二 山海慧自在通王仏の事


御義口伝に云く山とは煩惱即菩提なり海とは生死即涅槃なり慧とは我等が吐く所の言語なり自在とは無障碍なり通王とは十界互具百界千如一念三千なり、又云く山とは迹門の意なり海とは本門の意なり慧とは妙法の五字なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は山海慧自在通王仏なり全く外に非ざるなり我等行者の外に阿難之れ無きなり、阿難とは歓喜なり一念三千の開覚なり云云。

       法師品十六箇の大事

第一 法師の事

御義口伝に云く法とは諸法なり師とは諸法が直ちに師と成るなり森羅三千の諸法が直ちに師と成り弟子となるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり、諸法実相の開覚顕れて見れば地獄の灯燃猛火・乃至仏果に至る迄悉く具足して一念三千の法師なり、又云く法とは題目・師とは日蓮等の類いなり。

第二 成就大願愍衆生故生於悪世広演此経の事

御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。

第三 如来所遣行如来事の事

御義口伝に云く法華の行者は如来の使に来れり、如来とは釈迦・如来事とは南無妙法蓮華経なり・如来とは十界三千の衆生の事なり今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは真実の御使なり云云。

第四 与如来共宿の事


御義口伝に云く法華の行者は男女共に如来なり煩悩即菩提生死即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云。

第五 是法華経蔵深固幽遠無人能到の事

御義口伝に云く是法華経蔵とは題目なり深固とは本門なり幽遠とは迹門なり無人能到とは謗法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無人能到の者に非ざるなり云云。

第六 聞法信受随順不逆の事

御義口伝に云く聞とは名字即なり法とは題目なり信受とは受持なり随順不逆とは本迹二門に随順するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。

第七 衣座室の事

御義口伝に云く衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり、豈一念に三軌を具足するに非ずや。

第八 欲捨諸懈怠応当聴此経の事

御義口伝に云く諸の懈怠とは四十余年の方便の経教なり悉く皆懈怠の経なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは是れ即ち精進なり応当聴此経は是なり、応に日蓮に此の経を聞くべしと云えり云云。