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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (17/43) 此の信の字元品の無明を切る利剣なり
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宅を合するなりと。

御義口伝に云く此の文は一念三千の文なり一念三千の法門は迹門には生陰二千の世間を明し本門には国土世間を明すなり、又云く今此三界の文は国土世間なり其中衆生の文は五陰世間なり而今此処多諸患難唯我一人の文は衆生世間なり、又云く今此三界は法身如来なり其中衆生悉是吾子は報身如来なり而今此処等は応身如来なり。

       信解品六箇の大事

第一 信解品の事

記の六に云く正法華には信楽品と名く其の義通ずと雖も楽は解に及ばず今は領解を明かす何を以てか楽と云わんや。

御義口伝に云く法華一部廿八品の題号の中に信解の題号此の品に之れ有り、一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり解とは智慧の異名なり信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり信は智慧の種なり不信は堕獄の因なり、又云く信は不変真如の理なり其の故は信は知一切法皆是仏法と体達して実相の一理と信ずるなり解は随縁真如なり自受用智を云うなり、文句の九に云く疑い無きを信と曰い明了なるを解と曰うと、文句の六に云く中根の人譬喩を説くを聞きて、初めて疑惑を破して大乗の見道に入る故に名けて信と為す進んで大乗の修道に入る故に名けて解と為す、記の六に云く大を以て之に望むるに乃ち両字を分ちて以て二道に属す疑を破するが故に信なり進んで入るを解と名く、信は二道に通じ解は唯修に在り故に


修道を解と名くと云うと。

第二 捨父逃逝の事

文句の六に云く、捨父逃逝とは大を退するを捨と為し無明自ら覆うを逃と曰い生死に趣向するを逝と為すと。

御義口伝に云く父に於て三之れ有り法華経・釈尊・日蓮是なり、法華経は一切衆生の父なり此の父に背く故に流転の凡夫となる、釈尊は一切衆生の父なり此の仏に背く故に備さに諸道を輪ぐるなり、今日蓮は日本国の一切衆生の父なり、章安大師の云く「彼が為に悪を除く即ち是れ彼が親なり」と、退大の大は南無妙法蓮華経なり無明とは疑惑謗法なり、自ら覆うとは法然・弘法・慈覚・智証・道隆・良観等の悪比丘・謗法の失を恣ままに覆いかくすなり。

第三 加復窮困の事

文句の六に云く、出要の術を得ざるを又窮と為し、八苦の火に焼かるるが故に困と為すと。

御義口伝に云く出要とは南無妙法蓮華経なり術とは信心なり、今日蓮等の類い窮困を免離する事は法華経を受持し奉るが故なり、又云く妙法に値い奉る時は八苦の煩悩の火自受用報身の智火と開覚するなり云云。

第四 心懐悔恨の事

文句の六に云く悔を父に約し恨を子に約すと、記の六に云く父にも悔恨あり、子にも悔恨ありと。

御義口伝に云く日本国の一切衆生は子の如く日蓮は父の如し、法華不信の失に依つて無間大城に堕ちて返つて日蓮を恨みん、又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを霊山にて悔ること之れ有る可きか、文句の六に云く「心懐悔恨とは昔勤に教詔せず訓うること無くして逃逝せしむることを致すことを悔い子の恩義を惟わずして我を疎んじ他に親しむるを恨む」と。


第五 無上宝聚不求自得の事

御義口伝に云く無上に重重の子細あり、外道の法に対すれば三蔵教は無上・外道の法は有上なり又三蔵教は有上・通教は無上・通教は有上・別教は無上・別教は有上・円教は無上、又爾前の円は有上・法華の円は無上・又迹門の円は有上・本門の円は無上、又迹門十三品は有上・方便品は無上・又本門十三品は有上・一品二半は無上、又天台大師所弘の止観は無上・玄文二部は有上なり、今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり、此の妙法を指して無上宝聚と説き給うなり、宝聚とは三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり、此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり不求自得とは是れなり、自の字は十界なり十界各各得るなり諸法実相是なり、然る間此の文・妙覚の釈尊・我等衆生の骨肉なり能く能く之を案ず可し云云。

第六 世尊大恩の事

御義口伝に云く世尊とは釈尊大恩とは南無妙法蓮華経なり、釈尊の大恩を報ぜんと思わば法華経を受持す可き者なり是れ即ち釈尊の御恩を奉じ奉るなり、大恩を題目と云う事は次下に以稀有事と説く、希有の事とは題目なり、此の大恩の妙法蓮華経を四十余年の間秘し給いて後八箇年に大恩を開き給うなり、文句の一に云く「法王運を啓く」と運とは大恩の妙法蓮華経なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を助けんと思うは豈世尊の大恩に非ずや、章安大師十種の恩を挙げたりしなり第一には慈悲逗物の恩・第二には最初下種の恩・第三には中間随逐の恩・第四には隠徳示拙の恩・第五には鹿苑施小の恩・第六には耻小慕大の恩・第七には領地家業の恩・第八には父子決定の恩・第九には快得安穏の恩・第十には還用利多の恩なり此の十恩即ち衣座室の三軌なりと云云、記の六に云く「宿萠稍割けて尚未だ敷栄せず長遠の恩何に由りてか報ず可