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日蓮大聖人・池田大作

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一代五時継図  (31/33) 当に知るべし已説の四時の経・今説の無量義経…
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一、漢土南北の十師天台大師に帰伏する事

国清百録の第四に云く千年と復五百と復実に今日に在り南岳の叡聖天台の明哲昔は三業を住持し今は二尊に紹継す豈止だ甘露を振旦に灑ぐのみならん亦当に法鼓を天竺に振うべし、生知妙悟なり魏晋より以来典籍風謡実に連類無し云云、乃至禅衆一百余僧と共に智者大師を請し奉る。天台大師、俗性は陳氏、字は徳安、諱は智顗、頴川の人なり、後則ち南荊州華容県に遷居す。

一、伝教大師の一期略記に云く

桓武天皇の御宇、延暦廿一年壬午正月十九日伝教大師最澄高尾寺に於て、六宗と諍い責め破り畢ぬ。仍つて勅宣を下され帰伏の状を召さる、六宗の碩学共に帰伏の状を奉りて云く漢明の年・教・震旦に被り礒島の代に訓本朝に及ぼす、聖徳の皇子は霊山の聖衆にして衡岳の後身なり経を西隣に請い道を東域に弘む、智者禅師は亦共に霊山に侍し迹を台岳に降し同く法華三昧を悟り以て諸仏の妙旨を演ぶる者なり、竊に天台の玄疏を見れば釈迦一代の教を惣括して悉く其の趣を顕わし処として通ぜざること無し独り諸宗に逾え殊に一道を示す、其の中の所説の甚深の妙理・七箇の大寺六宗の学匠昔未だ聞かざる所・曾て未だ見ざる所・三論・法相の久年の諍い渙焉として氷の如く釈け昭然として既に明かなり雲霧を披いて三光を見るが猶し、聖徳の弘化より以降今に二百余年の間・講ずる所の経論其の数惟れ多し彼此理を争つて其の疑未だ解けず、此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず、蓋し以れば此の間の群生未だ円味に応ぜざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付嘱を受け深く純円の機を結ぶ一妙の義理始めて乃ち興顕す、六宗の学衆初めて至極を悟る、謂つべし此の界の含霊而今而後悉く妙円の船に載つて早く彼岸に済ることを得と、如来の成道四十余年の後乃ち法華を説いて悉く三乗の侶をして共に一乗の車に駕せしむるが猶し、善議等慶躍の至りに堪えず敢て表を奉つて陳謝以て聞す云云。       

秀句の下に云く当に知るべし已説の四時の経・今説の無量義経・当説の涅槃経は易信易解なることを随他意の故に、此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に、随自意の説は随他意に勝る、但し無量義を随他意と云う


は未合の一辺を指す余部の随他意に同じからざるなり文。

文句の八に云く已とは大品以上の漸頓の諸説なり今とは同一の座席謂く無量義経なり当とは謂く涅槃なり、大品等の漸頓は皆方便を帯すれば信を取ること易しと為す今無量義は一より無量を生ずれども無量未だ一に還らず是亦信じ易し、今の法華は法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰す人を論ずれば則ち師弟の本迹倶に皆久遠なり、二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し、鋒に当る難事をば法華已に説く涅槃は後に在れば則ち信ず可きこと易し、秘要の蔵とは隠して説かざるを秘と為し一切を惣括するを要と為す真如実相の包蘊せるを蔵と為す、不可分布とは法妙にして信じ難し深智には授く可し無智は罪を益す故に妄りに説く可らず、昔より已来未だ曾て顕説せずとは三蔵の中に於ては二乗の作仏を説かず、亦師弟の本迹を明かさず、方等般若には実相の蔵を説くと雖も亦未だ五乗の作仏を説かず、亦未だ発迹顕本せず頓漸の諸経皆未だ融会せず故に名けて秘と為す、此の経には具に昔秘する所の法を説く即ち是れ秘密蔵を開するに亦即ち是れ秘密蔵なり、此くの如きの秘蔵は未だ曾て顕説せず、如来在世猶多怨嫉といわば四十余年には即ち説くことを得ず今説かんと欲すと雖も而も五千尋いで即ち座を退く仏世すら尚爾り、何に況や未来をや理化し難きに在り。

楞伽経に云く我得道の夜より涅槃の夜に至るまで一字をも説かず文。

止観の五に云く是の故に二夜一字を説かずと文、又云く仏二法に因つて此くの如きの説を作したもう縁自法と及び本住の法を謂う、自法とは彼の如来の得る所我も亦之を得文、又云く文字を離るるとは仮名を離るるなり文。

法華に云く但仮の名字を以て衆生を引導したもう文。

玄義の五に云く恵能く惑を破し理を顕す・理は惑を破すこと能わず、理若し惑を破せば一切衆生・悉く理性を具


す何が故ぞ破せざる、若し此の恵を得れば則ち能く惑を破す故に智を用つて乗体と為す文。

弘の五に云く何の密語に依つて此くの如き説を作したもう、仏の言く二の密語に依る・謂く自証法・及び本住法なり、然るに一代の施化・豈権智被物の教無からんや、但此の二に約して未だ曾て説有らざる故に不説と云うのみ文。

籤の一に云く三に廃迹とは後の如く前の如し文を引く中・初に諸仏の下同を引く・為度の下正しく廃迹を明す、廃し已れば迹無し故に皆実と云う、実は只是れ本・権は只是れ迹・若し同異を弁ぜば広く第七の巻の如し文、籤の一に云く捨は只だ是れ廃・故に知んぬ開と廃は名異躰同なることを文。

止の六に云く和光同塵は結縁の始め八相成道は以て其の終りを論ずと文。

弘の六に云く和光の下・身を現ずるを釈するなり四住の塵に同じ処処に縁を結び浄土の因を作し利物の始めと為す、衆生機熟して八相成道す身を見・法を聞き終に実益に至る文。

天照大神の託宣に云く

往昔勤修して仏道を成じ求願円満遍照尊・閻浮に在つては王位を護り衆生を度せんが為に天照神。