Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

御義口伝巻上  (33/43) 宝珠即一念三千なり
741

御義口伝に云く十方とは十界なり法華経とは我等衆生流転の十二因縁なり仍て言語の音声を指すなり善哉とは善悪不二邪正一如なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る処を多宝涌現と云うなり。

第八 南西北方四惟上下の事

御義口伝に云く四方・四惟・上下合して十方なり即ち十界なり、十界の衆生共に三毒の光之れ有り是を白毫と云うなり一心中道の智慧なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは十界同時の光指なり諸法実相の光明なるが故なり。

第九 各齎宝華満掬の事

御義口伝に云く宝華とは合掌・一念三千の所表なり各とは十界なり満の一字を一念三千と心得可し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは仏に宝華を奉るなり宝華即宝珠なり宝珠即一念三千なり合掌以敬心欲聞具足道是なり云云。

第十 如却関鑰開大城門の事

補註の四に云く此の開塔見仏は蓋し所表有るなり、何となれば即ち開塔は即開権なり見仏は即顕実なり是れ亦前を証し復将さに後を起さんとするのみ、如却関鑰とは却は除なり障除こり機動くことを表す謂く法身の大士惑を破し理を顕し道を増し生を損するなりと。

御義口伝に云く関鑰とは謗法なり無明なり開とは我等が成仏なり大城門とは我等が色心の二法なり大城とは色法なり門とは口なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時無明の惑障却けて己心の釈迦多宝住するなり、関鑰とは無明なり開とは法性なり鑰とは妙の一字なり天台の云く「秘密の奥蔵を発らく之を称して妙と為す」と、妙の一字を以て鑰と心得可きなり、此の経文は謗法不信の関鑰を却けて己心の仏を開くと云う事なり開仏知見之を思う可し云云。


第十一 摂諸大衆皆在虚空の事

御義口伝に云く大衆とは聴衆なり皆在虚空とは我等が死の相なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するを皆在虚空と説くなり生死即涅槃と被摂するなり、大地は色法なり虚空は心法なり色心不二と心得可きなり虚空とは寂光土なり、又云く虚空とは蓮華なり経とは大地なり妙法は天なり虚空とは中なり一切衆生の内・菩薩・蓮華に座するなり、此れを妙法蓮華経と説かれたり、経に云く「若在仏前蓮華化生」と。

第十二 譬如大風吹小樹枝の事

御義口伝に云く此の偈頌の如清凉池と譬如大風と燃大炬火とは三身なり、其の中に譬如大風とは題目の五字なり吹小樹枝とは折伏門なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり。

第十三 若有能持則持仏身の事

御義口伝に云く法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり、則の一字は生仏不二なり上の能持の持は凡夫なり持つ体は妙法の五字なり仏身を持つと云うは一一文文皆金色仏体の故なり、さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり即の字は即故初後不二の故なり云云。

第十四 此経難持の事

御義口伝に云く此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つなり、されば即為疾得無上仏道の成仏は今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。

第十五 我則歓喜諸仏亦然の事


御義口伝に云く我とは心王なり諸仏とは心数なり法華経を持ち奉る時は心王心数同時に歓喜するなり、又云く我とは凡夫なり諸仏とは三世諸仏なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱えて歓喜する是なり云云。

第十六 読持此経の事

御義口伝に云く五種の修行の読誦と受持との二行なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり此の経を持つは持なり此経とは題目の五字なり云云。

第十七 是真仏子の事

御義口伝に云く法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり、然る間王位を継ぐ可きなり悉是吾子の子と是真仏子の子と能く能く心得合す可きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は釈迦法王の御子なり。

第十八 是諸天人世間之眼の事

御義口伝に云く世間とは日本国なり眼とは仏知見なり法華経は諸天世間の眼目なり、眼とは南無妙法蓮華経なり是諸天人世間之眼・又云く是諸仏眼目云云、此の眼をくじる者は禅・念仏・真言宗等なり眼等とは目を閉づるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは諸天世間の眼に非ずや云云。

第十九 能須臾説の事

御義口伝に云く能の一字之を思う可し説とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類いは能須臾説の行者なり云云。

第二十 此経難持の事

御義口伝に云く此の経文にて三学倶伝するなり、虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧・三学倶に伝うるを名け