Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

御義口伝巻下  (43/52) 廿八品の文文句句の義理我が身の上の法門と聞…
794

御義口伝に云く一経とは本迹二十八品なり唯四とは名用体宗の四なり枢柄とは唯題目の五字なり授与とは上行菩薩に授与するなり之とは妙法蓮華経なり云云、此の釈分明なり今日蓮等の弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり廿八品は用なり廿八品は助行なり題目は正行なり正行に助行を摂す可きなり云云。

一 無量義経の事

御義口伝に云く妙法の序分無量義経なれば十界悉く妙法蓮華経の序分なり。

一 序品

御義口伝に云く如是我聞の四字を能く能く心得れば一経無量の義は知られ易きなり十界互具三千具足の妙と聞くなり此の所聞は妙法蓮華と聞く故に妙法の法界互具にして三千清浄なり此の四字を以て一経の始終に亘るなり廿八品の文文句句の義理我が身の上の法門と聞くを如是我聞とは云うなり、其の聞物は南無妙法蓮華経なりされば皆成仏道と云うなり此の皆成の二字は十界三千に亘る可きなり妙法

の皆成なるが故なり又仏とは我が一心なり是れ又十界三千の心心なり、道とは能通に名くる故に十界の心心に通ずるなり此の時皆成仏道と顕るるなり皆成仏道の法は南無妙法蓮華経なり。

一 方便品

御義口伝に云く此の品には十如是を説く此の十如是とは十界なり此の方便とは十界三千なり。既に妙法蓮華経を頂く故に十方仏土中唯有一乗法なり妙法の方便蓮華の方便なれば秘妙なり・清浄なり妙法の五字は九識・方便は八識已下なり九識は悟なり八識已下は迷なり、妙法蓮華経方便品と題したれば迷悟不二なり森羅三千の諸法此の妙法蓮華経方便に非ずと云う事無きなり品は義類同なり、義とは三千なり類とは互具なり同とは一念なり此の一念三千を指して品と云うなり此の一念三千を三仏合点し給えり仍つて品品に題せり南無妙法蓮華経の信


の一念より三千具足と聞えたり云云。

一 譬喩品

御義口伝に云く此の品の大白牛車とは「無明癡惑本是法性」の明闇一体の義なり、即ち三千具足の一乗をかかげたる車なれば明闇一体にして三千具足の義を顕すなり、法界に徧満したれども一法なるを一乗と云うなり、此の一乗とは諸乗具足の一乗なり諸法具足の一法なり故に一の白牛なり又白牛は一なりといえども無量の白牛なり一切衆生の体大白牛車なるが故なり、然らば妙法の大白牛車に妙法の十界三千の衆生乗じたり蓮華の大白牛車なれば十界三千の衆生も蓮華にして清浄なり南無妙法蓮華経の法体此くの如し。

一 信解品

御義口伝に云く此の信解は中根の四大声聞の領解に限るに非ず妙法の信解なるが故に十界三千の信解なり、蓮華の信解なるが故に十界三千の清浄の信解なり此の信解の体とは南無妙法蓮華経是なり云云。

一 薬草喩品

御義口伝に云く妙法の薬草なれば十界三千の毒草・蓮華の薬草なれば本来清浄なり、清浄なれば仏なり此の仏の説法とは南無妙法蓮華経なり云云、されば此の品には種相体性の種の字に種類種・相体種の二の開会之れ有り、相対種とは三毒即三徳なり種類種とは始の種の字は十界三千なり、類とは互具なり下の種の字は南無妙法蓮華経なり種類種なり、十界三千の草木各各なれども只南無妙法蓮華経の一種なり、毒草の毒もなきなり清浄の草木にして薬草なり云云。

一 授記品


御義口伝に云く十界已已の当体の言語は妙法蓮華の授記なれば清浄の授記なり、清浄の授記なれば十界三千の仏なり、爰を以て仏南無妙法蓮華経と授記するなり云云。

一 化城喩品

御義口伝に云く妙法の化城なれば十界同時の無常なり、蓮華の化城なれば十界三千の開落なり、常住・無常倶に妙法蓮華経の全体なり、化城宝処は生死本有なり生死本有の体とは南無妙法蓮華経なり、釈に云く「起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅」と。

一 五百品

御義口伝に云く此の品には五百弟子授記作仏すと現文に見えたり、然りと雖も妙法の五百なれば十界三千皆五百の弟子なり、蓮華の弟子なれば又清浄なり、所詮十界三千南無妙法蓮華経の弟子に非ずと云う事なし此の経の授記是なり云云。

一 人記品

御義口伝に云く此の品には学・無学の聖者来つて成仏するなり、既に妙法頂戴の学・無学なれば十界互具・三千具足の学・無学なり妙法の学・無学なるが故に不思議の十界に煩悩未だ尽くさざるなり蓮華の学・無学なれば十界三千清浄の開落なり、此の学・無学何物ぞや学とは法なり無学とは妙なり所謂南無妙法蓮華経なり云云。

一 法師品

御義口伝に云く妙法の法師なれば十界皆妙法受持の一句一偈の法師なり、蓮華の法師なれば十界三千・清浄の法師なり、十界衆生の色法は能持の人なり十界の心性は所持の法なり、仍つて色心共に法師にして自行化他を