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日蓮大聖人・池田大作

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国府尼御前御書  (1/2) 同心なれば此の文を二人して人によませて・き…
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国府尼御前御書

                    建治元年 五十四歳御作

 阿仏御房の尼ごぜんよりぜに三百文、同心なれば此の文を二人して人によませて・きこしめせ

単衣一領・佐渡の国より甲斐の国・波木井の郷の内の深山まで送り給候い了んぬ、法華経第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは其の福復た彼に過ぎん」等云云、文の心は釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間・ねんごろに供養し奉るよりも・末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳は・すぐれたりと・とかれて候、まことしからぬ事にては候へども・仏の金言にて候へば疑うべきにあらず、其の上妙楽大師と申す人・此の経文を重ねて・やわらげて云く「若し毀謗せん者は頭七分に破れ若し供養せん者は福十号に過ぎん」等云云、釈の心は末代の法華経の行者を供養するは十号を具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり、又濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべしと云云。

夫れ日蓮は日本第一のゑせものなり、其の故は天神七代は・さておきぬ、地神五代も又はかりがたし、人王始まりて神武より今に至るまで九十代・欽明天王より七百余年が間・世間につけ仏法によりても日蓮ほど・あまねく人にあだまれたるものは候はじ、守屋が寺塔をやき清盛入道が東大寺興福寺を失せし・彼等が一類は彼がにくまず、将門貞たうが朝敵と成りし・伝教大師の七寺にあだまれし・彼等もいまだ日本一州の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆には・にくまれず、日蓮は父母・兄弟・師匠・同法・上一人・下万民・一人ももれず・父母のかたきのごとく・謀反強盗にも・すぐれて人ごとに・あだをなすなり、されば或時は数百人にのられ・或時は数千人に取りこめられて刀杖の大難にあう、所を・をはれ国を出さる・結句は国主より御勘気二度・一度は伊豆の国・今度は佐渡の嶋な


り、されば身命をつぐべきかつてもなし・形体を隠すべき藤の衣ももたず、北海の嶋に・はなたれしかば彼の国の道俗は相州の男女よりも・あだをなしき、野中に捨てられて雪にはだへをまじえ・くさをつみて命をささえたりき、彼の蘇夫が胡国に十九年・雪を食うて世をわたりし、李呂が北海に六ケ年がんくつにせめられし・我は身にて・しられぬ、これは・ひとえに我が身には失なし日本国を・たすけんと・をもひしゆへなり。

しかるに尼ごぜん並びに入道殿は彼の国に有る時は人めを・をそれて夜中に食ををくり、或る時は国のせめをも・はばからず身にも・かわらんと・せし人人なり、さればつらかりし国なれどもそりたるかみをうしろへひかれ・すすむあしもかへりしぞかし、いかなる過去のえんにてや・ありけんと・おぼつかなかりしに・又いつしか・これまで・さしも大事なるわが夫を御つかいにて・つかはされて候、ゆめかまぼろしか尼ごぜんの御すがたをば・みまいらせ候はねども心をば・これに・とどめをぼへ候へ、日蓮をこいしく・をはしせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり、又後生には霊山浄土に・まいりあひ・まひらせん、南無妙法蓮華経。

  六月十六日                     日蓮花押

   さどの国のこうの尼御前


一谷入道御書

                    建治元年五月八日 五十四歳御作

                    与 一谷入道日学女房

去る弘長元年太歳辛酉五月十二日に御勘気を蒙つて・伊豆の国・伊東の郷と云う処に流罪せられたりき、兵衛の介頼朝のながされてありし処なり、さありしかども程無く同三年太歳癸亥二月二十二日に召し返されぬ、又文永八年太歳辛未九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが・忽に頸を刎らるべきにて・ありけるが・子細ありけるかの故に・しばらくのびて北国佐渡の嶋を知行する武蔵の前司預りて・其の内の者どもの沙汰として彼の嶋に行き付いてありしが・彼の島の者ども因果の理をも弁へぬ・あらゑびすなれば・あらくあたりし事は申す計りなし、然れども一分も恨むる心なし、其の故は日本国の主として少しも道理を知りぬべき相模殿だにも国をたすけんと云う者を子細も聞ほどかず理不尽に死罪にあてがう事なれば・況や其の末の者どもの事はよきも・たのまれず・あしきも・にくからず。

此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと思い儲けしなり、弘演と云いし者は主衛の懿公の肝を取りて我が腹を割いて納めて死にき、予譲と云いし者は主の知伯が恥をすすがんが・ために劒を呑んで死せしぞかし、是は但わづかの世間の恩を報ぜんが・ためぞかし。

況や無量劫より已来六道に流転して仏にならざりし事は法華経の御ために身を惜み命を捨てざる故ぞかし、されば喜見菩薩と申せし菩薩は千二百歳の間・身を焼いて日月浄明徳仏を供養し、七万二千歳の間・臂を焼いて法華経を供養し奉る其の人は薬王菩薩ぞかし、不軽菩薩は法華経の御ために多劫の間・罵詈毀辱・杖木瓦石にせめられき、今の釈迦仏にあらずや、されば仏になる道は時により品品に替つて行ずべきにや、今の世には法華経は・さる事にて・おはすれども時によりて事ことなるなれば・山林に交わりて読誦すとも将又・里に住して演説すとも・持戒にして行ずとも臂を焼いて供養すとも仏には・なるべからず、日本国は仏法盛なるやうなれども仏法について