Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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乗明聖人御返事 
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は但謗法の一科なり、所持の妙法は月愛に超過す、豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや、此の語徴無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人・一乗妙経は綺語の典なり・名を惜しみ給わば世尊験を顕し・誓を恐れ給わば諸の賢聖来り護り給えと叫喚したまえと爾か云う書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、恐恐。

  十一月三日                     日蓮花押

   太田入道殿御返事

乗明聖人御返事

                    建治三年四月 五十六歳御作

                    与 大田乗明

相州の鎌倉より青鳧二結甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ、昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき其の夫の金師は今の迦葉未来の光明如来是なり、今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と、法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや、但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし、譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ、恐恐謹言。

  卯月十二日                     日蓮花押

   乗明聖人御返事


大田殿女房御返事

                    建治三年十一月 五十六歳御作

                    与 大田入道女房 於身延

柿のあをうらの小袖わた十両に及んで候か、此の大地の下は二の地獄あり一には熱地獄すみををこし野に火をつけせうまうの火鉄のゆのごとし、罪人のやくる事は大火に紙をなげ大火にかなくづをなぐるがごとし、この地獄へは・やきとりと火をかけて・かたきをせめ物をねたみて胸をこがす女人の堕つる地獄なり、二には寒地獄・此の地獄に八あり、涅槃経に云く「八種の寒冰地獄あり・所謂阿波波地獄・阿吁吁地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄」云云、此の八大かん地獄は或はかんにせめられたるこえ或は身のいろ等にて候、此の国のすわの御いけ或は越中のたて山のかへし加賀の白山のれいのとりのはねをとぢられ、やもめをうなのすそのひゆる、ほろろの雪にせめられたるを・もて・しろしめすべし、かんにせめられて・をとがいのわなめく等を阿波波・阿吁吁・阿羅羅等と申すかんに・せめられて身のくれないににたるを紅蓮・大紅蓮等と申すなり、いかなる人の此の地獄にをつるぞと申せば此の世にて人の衣服をぬすみとり父母師匠等のさむげなるをみまいらせて我はあつく・あたたかにして昼夜をすごす人人の堕つる地獄なり。

六道の中に天道と申すは其の所に生ずるより衣服ととのをりて生るるところなり、人道の中にも商那和修・鮮白比丘尼等は悲母の胎内より衣服ととのをりて生れ給へり、是れはたうとき人人に衣服をあたへたるのみならず父母・主君・三宝にきよくあつき衣をまいらせたる人なり、商那和修と申せし人は裸形なりし辟支仏に衣をまいらせて世世・生生に衣服身に随ふ、憍曇弥と申せし女人は仏にきんばら衣をまいらせて一切衆生喜見仏となり給う、今法華経に衣をまいらせ給う女人あり後生に・はちかん地獄の苦をまぬかれさせ給うのみならず、今生には大難


をはらひ其の功徳のあまりを男女のきんだちきぬにきぬをかさね・いろにいろをかさね給うべし、穴賢穴賢。

  建治三年丁丑十一月十八日              日蓮在御判

   太田入道殿女房御返事

太田左衛門尉御返事

                    弘安元年四月 五十七歳御作

当月十八日の御状同じき廿三日の午の剋計りに到来・軈拝見仕り候い畢んぬ、御状の如く御布施鳥目十貫文・太刀・五明一本・焼香廿両給い候、抑専ら御状に云く某今年は五十七に罷り成り候へば大厄の年かと覚え候、なにやらんして正月の下旬の比より卯月の此の比に至り候まで身心に苦労多く出来候、本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら更に云云。

此の事最第一の歎きの事なり、十二因縁と申す法門あり意は我等が身は諸苦を以て体と為す、されば先世に業を造る故に諸苦を受け先世の集・煩悩が諸苦を招き集め候、過去の二因・現在の五果・現在の三因・未来の両果とて三世次第して一切の苦果を感ずるなり、在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて空理に沈み灰身滅智して菩薩の勤行・精進の志を忘れ空理を証得せん事を真極と思うなり、仏・方等の時・此等の心地を弾呵し給いしなり、然るに生を此の三界に受けたる者苦を離るる者あらんや、羅漢の応供すら猶此くの如し況や底下の凡夫をや、さてこそいそぎ生死を・離るべしと勧め申し候へ。

此等体の法門はさて置きぬ、御辺は今年は大厄と云云、昔伏羲の御宇に黄河と申す河より亀と申す魚・八卦と申す文を甲に負て浮出たり、時の人・此の文を取り挙げて見れば人の生年より老年の終りまで厄の様を明したり、