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日蓮大聖人・池田大作

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兵衛志殿御返事  (1/4) 此れより後も・いかなる事ありとも・すこしも…
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のもしさ申すばかりなし、此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしも・ひるむ事なかれ、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

  八月二十一日                    日蓮花押

   兵衛志殿御返事

兵衛志殿御返事

                    建治元年十一月 五十四歳御作

                    於身延

かたがたのものふ二人を・もつて・をくりたびて候、その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候、さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり、正法・像法の時は世もいまだをとろへず聖人・賢人も・つづき生れ候き天も人をまほり給いき、末法になり候へば人のとんよくやうやくすぎ候て主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし、まして他人は申すに及ばず、これに・よりて天も・その国をすつれば三災七難乃至一二三四五六七の日いでて草木かれうせ小大河もつき大地はすみのごとく・をこり大海はあぶらのごとくになり・けつくは無間地獄より炎いでて上梵天まで火炎・充満すべし、これていの事いでんとて・やうやく世間はをとへ候なり、皆人のをもひて候は父には子したがひ臣は君にかなひ弟子は師にゐすべからずと云云、かしこき人もいやしき者もしれる事なり、しかれども貪欲瞋恚愚癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候、但師と主と親とに随いてあしき事をば諫ば孝養となる事はさきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし。

ただこのたびゑもんの志どのかさねて親のかんだうあり・とのの御前にこれにて申せしがごとく一定かんだうあるべし・ひやうへの志殿をぼつかなしごぜんかまへて御心へあるべしと申して候しなり今度はとのは一定を


ち給いぬとをぼうるなりをち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれしり候まじきなり千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり、さえもんの大夫殿は今度・法華経のかたきに・なりさだまり給うとみへて候、えもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん、とのは現前の計なれば親につき給はんずらむ、ものぐるわしき人人はこれをほめ候べし、宗盛が親父入道の悪事に随いてしのわらにて頸を切られし重盛が随わずして先に死せしいづれか親の孝人なる、法華経のかたきになる親に随いて一乗の行者なる兄をすてば親の孝養となりなんや、せんするところひとすぢにをもひ切つて兄と同じく仏道をなり給へ、親父は妙荘厳王のごとし兄弟は浄蔵浄眼なるべし、昔と今はかわるとも法華経のことわりは・たがうべからず・当時も武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり、ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな、かへすがへす今度とのは堕べしとをぼうるなり。

此の程心ざしありつるがひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびんなれば申すなり、百に一つ千に一つも日蓮が義につかんと・をぼさば親に向つていい切り給へ親なれば・いかにも順いまいらせ候べきが法華経の御かたきになり給へば・つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば・すてまいらせて兄につき候なり、兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎにと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。


仏になり候事は此の須弥山にはりをたてて彼の須弥山よりいとをはなちて、そのいとの・すぐにわたりて・はりのあなに入るよりもかたし、いわうや・さかさまに大風のふきむかへたらんは・いよいよかたき事ぞかし、経に云く「億億万劫より不可議に至る時に乃ち是の法華経を聞くことを得億億万劫より不可議に至る諸仏世尊時に是の経を説きたもう・是の故に行者仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること勿れ」等云云、此の経文は法華経二十八品の中に・ことにめづらし、序品より法師品にいたるまで等覚已下の人天・四衆・八部・其のかずありしかども仏は但釈迦如来一仏なり重くてかろきへんもあり、宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり、其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり月の前に日の出でたるがごとし、又十方の諸仏は樹下に御はします十方世界の草木の上に火をともせるがごとし、此の御前にてせんせられたる文なり。

涅槃経に云く「昔無数無量劫より来た常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積む所の骨は王舎城の毘富羅山の如く飲む所の乳汁は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣して出す所の目涙は四大海より多く、地の草木を尽くして四寸の籌と為し以て父母を数うも亦尽くすこと能わじ」云云、此の経文は仏最後に雙林の本に臥てかたり給いし御言なりもつとも心をとどむべし、無量劫より已来生ところの父母は十方世界の大地の草木を四寸に切りてあてかぞうとも・たるべからずと申す経文なり、此等の父母にはあひしかども法華経にはいまだ・あわず、されば父母はまうけやすし法華経はあひがたし、今度あひやすき父母のことばを・そむきて・あひがたき法華経のともにはなれずば我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん、例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり国をもゆづり位にもつけんと・をぼして・すでに御位につけまいらせたりしを御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給いしかば不孝の者なりと・うらみさせ給いしかども仏にならせ給うては・まづ浄飯王・麻耶夫人をこそ・みちびかせ給いしか。