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日蓮大聖人・池田大作

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曾谷殿御返事  (2/6) 法華経の題目は一切経の神・一切経の眼目なり…
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寿命をやしなふ寿命は五味の主なり、天台宗には二の意あり一には華厳・方等・般若・涅槃・法華は同じく醍醐味なり、此の釈の心は爾前と法華とを相似せるににたり世間の学者等此の筋のみを知りて法華経は五味の主と申す法門に迷惑せるゆへに諸宗にたぼらかさるるなり、開未開・異なれども同じく円なりと云云是は迹門の心なり、諸経は五味・法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり、此の法門は天台・妙楽粗書かせ給い候へども分明ならざる間・学者の存知すくなし、此の釈に若論教旨とかかれて候は法華経の題目を教旨とはかかれて候、開権と申すは五字の中の華の一字なり顕遠とかかれて候は五字の中の蓮の一字なり独得妙名とかかれて候は妙の一字なり、意在於此とかかれて候は法華経を一代の意と申すは題目なりとかかれて候ぞ、此れを以て知んぬべし法華経の題目は一切経の神・一切経の眼目なり、大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば日本国の一切の寺塔の仏像等・形は仏に似れども心は仏にあらず九界の衆生の心なり、愚癡の者を智者とすること是より始まれり、国のついへのみ入て祈とならず還て仏変じて魔となり鬼となり国主乃至万民をわづらはす是なり、今法華経の行者と檀那との出来する故に百獣の師子王をいとひ草木の寒風をおそるるが如し、是は且くをく法華経は何故ぞ諸経に勝れて一切衆生の為に用いる事なるぞと申すに譬えば草木は大地を母とし虚空を父とし甘雨を食とし風を魂とし日月をめのととして生長し華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を大地とし無相を虚空とし一乗を甘雨とし已今当第一の言を大風とし定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生長し大慈大悲の華さかせ安楽仏果の菓なつて一切衆生を養ひ給ふ、一切衆生又食するによりて寿命を持つ、食に多数あり土を食し水を食し火を食し風を食する衆生もあり、求羅と申す虫は風を食す・うぐろもちと申す虫は土を食す、人の皮肉・骨髄等を食する鬼神もあり、尿糞等を食する鬼神もあり、寿命を食する鬼神もあり、声を食する鬼神もあり、石を食するいをくろがねを食するばくもあり、地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵


王・二乗・菩薩・仏は仏法をなめて身とし魂とし給ふ、例せば乃往過去に輪陀王と申す大王ましましき一閻浮提の主なり賢王なり、此の王はなに物をか供御とし給うと申せば白馬の鳴声をきこしめして身も生長し身心も安穏にしてよをたもち給う、れいせば蝦蟆と申す虫の母のなく声を聞いて生長するがごとし、秋のはぎのしかの鳴くに華のさくがごとし、象牙草のいかづちの声にはらみ柘榴の石にあふて・さかうるがごとし、されば此の王・白馬を・をほくあつめて・かはせ給ふ、又此の白馬は白鳥をみてなく馬なれば、をほくの白鳥をあつめ給いしかば我が身の安穏なるのみならず百官・万乗もさかへ天下も風雨・時にしたがひ他国もかうべをかたぶけて・すねんすごし給うにまつり事のさをいにやはむべりけん・又宿業によつて果報や尽きけん・千万の白鳥一時にうせしかば又無量の白馬もなく事やみぬ、大王は白馬の声をきかざりしゆへに華のしぼめるがごとく月のしよくするがごとく、御身の色かはり力よはく六根もうもうとしてぼれたるがごとくありしかば、きさきももうもうしくならせ給い百官万乗も・いかんがせんとなげき、天もくもり地もふるひ大風かんぱちし・けかちやくびように人の死する事肉はつか骨はかはらとみへしかば他国よりも・をそひ来れり、此の時大王いかんがせんと・なげき給いしほどに・せんする所は仏神にいのるには・しくべからず、此の国に・もとより外道をほく国国をふさげり、又仏法という物を・をほくあがめをきて国の大事とす、いづれにてもあれ白鳥をいだして白馬をなかせん法をあがむべし、まづ外道の法に・をほせつけて数日をこなはせけれども白鳥一疋もいでこず白馬もなく事なし、此の時外道のいのりを・とどめて仏教に・をほせつけられけり、其の時馬鳴菩薩と申す小僧一人あり・めしいだされければ此の僧の給はく国中に外道の邪法をとどめて仏法を弘通し給うべくば馬をなかせん事やすしといふ、勅宣に云くをほせのごとくなるべしと、其の時に馬鳴菩薩・三世十方の仏にきしやうし申せしかば・たちまちに白鳥出来せり、白馬は白鳥を見て一こへなきけり、大王・馬の声を一こへ・きこしめして眼を開き給い白鳥二ひき乃至百千いできたりければ百千の


白馬一時に悦びなきけり、大王の御いろ・なをること日しよくの・ほんにふくするがごとし、身の力・心のはかり事・先先には百千万ばいこへたり、きさきも・よろこび大臣公卿いさみて万民もたな心をあはせ他国も・かうべをかたぶけたりとみへて候。

今のよも又是にたがうべからず、天神七代・地神五代・已上十二代は成劫のごとし・先世のかいりきと福力とによつて今生のはげみなけれども国もおさまり人の寿命も長し、人王のよとなりて二十九代があひだは先世のかいりきも・すこしよはく今生のまつり事もはかなかりしかば国にやうやく三災・七難をこりはじめたり、なを・かんどより三皇五帝の世を・をさむべきふみわたりしかば其をもつて神をあがめて国の災難をしづむ、人王第三十代欽明天王の世となりて国には先世のかいふくうすく悪心がうじやうの物をほく出来て善心をろかに悪心はかしこし、外典のをしへはあさしつみもをもきゆへに外典すてられ内典になりしなり、れいせばもりやは日本の天神七代・地神五代が間の百八十神をあがめたてまつりて仏教をひろめずして・もとの外典となさんといのりき、聖徳太子は教主釈尊を御本尊として法華経・一切経をもんしよとして両方のせうぶありしに・ついには神はまけ仏はかたせ給いて神国はじめて仏国となりぬ、天竺・漢土の例のごとし、今此三界・皆是我有の経文あらはれさせ給うべき序なり、欽明より桓武にいたるまで二十よ代・二百六十余年が間・仏を大王とし神を臣として世ををさめ給いしに仏教はすぐれ神はをとりたりしかども未だよをさまる事なし。

いかなる事にやと・うたがはりし程に桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して勘えて云く神はまけ仏はかたせ給いぬ、仏は大王・神は臣かなれば上下あひついで・れいぎただしければ国中をさまるべしと・をもふに国のしづかならざる事ふしんなるゆへに一切経をかんがへて候へば道理にて候けるぞ、仏教に・をほきなるとがありけり、一切経の中に法華経と申す大王をはします、ついで華厳経・大品経・深密経・阿含経等はあるいは臣の位あるい