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日蓮大聖人・池田大作

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報恩抄  (17/37) 事勝の印と真言とにつひて天台宗の人人・画像…
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僻事なれば弟子等も用ゆる事なし事相計りは其の門家なれども其の教相の法門は弘法の義いゐにくきゆへに善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり、慈覚・智証の義こそ真言と天台とは理同なりなんど申せば皆人さもやと・をもう、かう・をもうゆへに事勝の印と真言とにつひて天台宗の人人・画像・木像の開眼の仏事を・ねらはんがために日本・一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり、例せば法師と尼と黒と青とは・まがひぬべければ眼くらき人はあやまつぞかし、僧と男と白と赤とは目くらき人も迷わず、いわうや眼あきらかなる者をや、慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とが・ごとくなる・ゆへに智人も迷い愚人もあやまり候て此の四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州・皆謗法の者となりぬ。

抑も法華経の第五に「文殊師利此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、此の経文のごとくならば法華経は大日経等の衆経の頂上に住し給う正法なり、さるにては善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は此の経文をばいかんが会通せさせ給うべき、法華経の第七に云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」等云云、此の経文のごとくならば法華経の行者は川流・江河の中の大海・衆山の中の須弥山・衆星の中の月天・衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり、伝教大師の秀句と申す書に云く「此の経も亦復是くの如し乃至諸の経法の中に最も為第一なり能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」已上経文なりと引き入れさせ給いて次下に云く「天台法華玄に云く」等云云、已上玄文と・かかせ給いて上の心を釈して云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず、天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一なる故に能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり已に仏説に拠る豈自歎ならん哉」等云云、次下に譲る釈に云く「委曲の依憑具さに別巻に有るなり」等云云、依憑集に云く「今吾が天台大師法華経を説き法華経を釈


すること群に特秀し唐に独歩す明に知んぬ如来の使なり讃る者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」等云云、法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心の如くならば今日本国には法華経の行者は一人も・なきぞかし、月氏には教主釈尊・宝塔品にして一切の仏を・あつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う、此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり、両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う此れ即ち法華経の行者なり天竺かくのごとし、漢土には陳帝の時・天台大師・南北にせめかちて現身に大師となる「群に特秀し唐に独歩す」という・これなり、日本国には伝教大師・六宗にせめかちて日本の始第一の根本大師となり給う・月氏・漢土・日本に但三人計りこそ於一切衆生中亦為第一にては候へ、されば秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、仏滅後・一千八百余年が間に法華経の行者・漢土に一人・日本に一人・已上二人釈尊を加へ奉りて已上三人なり。

外典に云く聖人は一千年に一出で賢人は五百年に一出づ、黄河は涇渭ながれを・わけて五百年には半河すみ千年には共に清むと申すは一定にて候けり、然るに日本国は叡山計りに伝教大師の御時・法華経の行者ましましけり、義真・円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり、第三の慈覚大師は始めは伝教大師の御弟子に・にたり、御年四十にて漢土に・わたりてより名は伝教の御弟子・其の跡をば・つがせ給えども法門は全く御弟子にはあらず、而れども円頓の戒計りは又御弟子ににたり蝙蝠鳥のごとし鳥にもあらず・ねずみにもあらず梟鳥禽・破鏡獣のごとし、法華経の父を食らい持者の母をかめるなり日をいるとゆめに・みしこれなり、されば死去の後は墓なくてやみぬ、智証の門家・園城寺と慈覚の


門家・叡山と修羅と悪竜と合戦ひまなし園城寺をやき叡山をやく、智証大師の本尊の慈氏菩薩もやけぬ慈覚大師の本尊・大講堂もやけぬ現身に無間地獄をかんぜり、但中堂計りのこれり、弘法大師も又跡なし弘法大師の云く東大寺の受戒せざらん者をば東寺の長者とすべからず等御いましめの状あり、しかれども寛平法王は仁和寺を建立して東寺の法師をうつして我寺には叡山の円頓戒を持ざらん者をば住せしむべからずと宣旨分明なり、されば今の東寺の法師は鑒真が弟子にもあらず弘法の弟子にもあらず戒は伝教の御弟子なり又伝教の御弟子にもあらず伝教の法華経を破失す、去る承和二年三月二十一日に死去ありしかば・公家より遺体をば・ほうぶらせ給う、其の後誑惑の弟子等集りて御入定と云云、或はかみをそりて・まいらするぞと・いゐ或は三鈷をかんどより・なげたりといゐ或は日輪・夜中に出でたりといゐ或は現身に大日如来となりたりといひ或は伝教大師に十八道を・をしへまいらせ給うといゐて、師の徳をあげて智慧にかへ我が師の邪義を扶けて王臣を誑惑するなり、又高野山に本寺・伝法院といいし二の寺あり本寺は弘法のたてたる大塔・大日如来なり、伝法院と申すは正覚房の立てし金剛界の大日なり、此の本末の二寺・昼夜に合戦あり例せば叡山・園城のごとし、誑惑のつもりて日本に二の禍の出現せるか、糞を集めて栴檀となせども焼く時は但糞の香なり大妄語を集めて仏と・がうすとも但無間大城なり、尼犍が塔は数年が間・利生広大なりしかども馬鳴菩薩の礼をうけて忽にくづれぬ、鬼弁婆羅門がとばりは多年人を・たぼらかせしかども阿溼縛寠沙菩薩にせめられて・やぶれぬ、拘留外道は石となつて八百年・陳那菩薩にせめられて水となりぬ、道士は漢土をたぼらかすこと数百年・摩騰・竺蘭にせめられて仙経もやけぬ、趙高が国をとりし王莽が位をうばいしが・ごとく法華経の位をとて大日経の所領とせり、法王すでに国に失せぬ人王あに安穏ならんや、日本国は慈覚・智証・弘法の流なり一人として謗法ならざる人はなし。

但し事の心を案ずるに大荘厳仏の末・一切明王仏の末法のごとし、威音王仏の末法には改悔ありしすら猶・千