Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

撰時抄  (26/37) 仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の…
281

だ世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に、二には事理倶密教謂く大日教金剛頂経蘇悉地経等なり亦世俗と勝義との不二を説き亦真言密印の事を説く故に」等云云、釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給うに真言の三部経と法華とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり、しかれども密印と真言等の事法は法華経かけてをはせず法華経は理秘密・真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり、しかも此の筆は私の釈にはあらず善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせどもなをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑いをさんぜんとやをぼしけん、大師慈覚の伝に云く「大師二経の疏を造り功を成し已畢つて心中独り謂らく此の疏仏意に通ずるや否や若し仏意に通ぜざれば世に流伝せじ仍つて仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す五日の五更に至つて夢らく正午に当つて日輪を仰ぎ見弓を以て之を射る其の箭日輪に当つて日輪即転動す夢覚めての後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝うべし」等云云、慈覚大師は本朝にしては伝教・弘法の両家を習いきわめ異朝にしては八大徳並に南天の宝月三蔵等に十年が間・最大事の秘法をきわめさせ給える上二経の疏をつくり了り重ねて本尊に祈請をなすに智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給い、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給い・天台の座主を真言の官主となし真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間・碩学稲麻のごとし渇仰竹葦に同じ、されば桓武・伝教等の日本国・建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ官をなし寺をあづけ給ふ、仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり

疑つて云く法華経を真言に勝ると申す人は此の釈をばいかがせん用うべきか又すつべきか、答う仏の未来を定めて云く「法に依つて人に依らざれ」竜樹菩薩の云く「修多羅に依れるは白論なり修多羅に依らざれば黒論なり」天台の云く「復修多羅と合せば録して之を用ゆ文無く義無きは信受すべからず」伝教大師云く「仏説に依憑して


口伝を信ずること莫れ」等云云、此等の経論釈のごときんば夢を本にはすべからずただついさして法華経と大日経との勝劣を分明に説きたらん経論の文こそたいせちに候はめ、但印真言なくば木画の像の開眼の事・此れ又をこの事なり真言のなかりし已前には木画の開眼はなかりしか、天竺・漢土・日本には真言宗已前の木画の像は或は行き或は説法し或は御物言あり、印・真言をもて仏を供養せしよりこのかた利生もかたがた失たるなり、此れは常の論談の義なり、此の一事にをひては但し日蓮は分明の証拠を余所に引くべからず慈覚大師の御釈を仰いで信じて候なり。

問うて云く何にと信ぜらるるや、答えて云く此の夢の根源は真言は法華経に勝ると造定めての御ゆめなり、此の夢吉夢ならば慈覚大師の合せさせ給うがごとく真言勝るべし、但日輪を射るとゆめにみたるは吉夢なりというべきか、内典五千七千余巻外典三千余巻の中に日を射るとゆめに見て吉夢なる証拠をうけ給わるべし、少少此れより出し申さん阿闍世王は天より月落るとゆめにみて耆婆大臣に合せさせ給しかば大臣合せて云く仏の御入滅なり須抜多羅天より日落るとゆめにみる我とあわせて云く仏の御入滅なり、修羅は帝釈と合戦の時まづ日月をいたてまつる、夏の桀・{殷}(いん)の紂と申せし悪王は常に日をいて身をほろぼし国をやぶる、摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば日種という、日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり、されば此のゆめは天照太神・伝教大師・釈迦仏・法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ、日蓮は愚癡の者なれば経論もしらず但此の夢をもつて法華経に真言すぐれたりと申す人は今生には国をほろぼし家を失ひ後生にはあび地獄に入るべしとはしりて候、今現証あるべし日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとおもひ候なん、但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが調伏せられ給し権の大夫殿はかたせ給い、後鳥羽院は隠岐の国へ御子の天子は佐渡


の嶋嶋へ調伏しやりまいらせ候いぬ、結句は野干のなきの身にをうなるやうに還著於本人の経文にすこしもたがはず叡山の三千人かまくらにせめられて一同にしたがいはてぬ、しかるに今はかまくらの世さかんなるゆへに東寺・天台・園城・七寺の真言師等と並びに自立をわすれたる法華宗の謗法の人人・関東にをちくだりて頭をかたぶけひざをかがめやうやうに武士の心をとりて、諸寺・諸山の別当となり長吏となりて王位を失いし悪法をとりいだして国土安穏といのれば、将軍家並びに所従の侍已下は国土の安穏なるべき事なんめりとうちをもひて有るほどに法華経を失う大禍の僧どもを用いらるれば国定めてほろびなん、亡国のかなしさ亡身のなげかしさに身命をすてて此の事をあらわすべし、国主世を持つべきならばあやしとおもひてたづぬべきところにただざんげんのことばのみ用いてやうやうのあだをなす、而るに法華経守護の梵天・帝釈・日月・四天・地神等は古の謗法をば不思議とはをぼせども此れをしれる人なければ一子の悪事のごとくうちゆるして、いつわりをろかなる時もあり又すこしつみしらする時もあり、今は謗法を用いたるだに不思議なるにまれまれ諫暁する人をかへりてあだをなす、一日二日・一月・二月・一年・二年ならず数年に及ぶ、彼の不軽菩薩の杖木の難に値いしにもすぐれ覚徳比丘の殺害に及びしにもこえたり、而る間・梵釈の二王・日月・四天・衆星・地神等やうやうにいかり度度いさめらるれども・いよいよあだをなすゆへに天の御計いとして隣国の聖人にをほせつけられて此れをいましめ大鬼神を国に入れて人の心をたぼらかし自界反逆せしむ、吉凶につけて瑞大なれば難多かるべきことわりにて仏滅後・二千二百三十余年が間いまだいでざる大長星いまだふらざる大地しん出来せり、漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかどもいまだ日蓮ほど法華経のかたうどして国土に強敵多くまうけたる者なきなり、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし、仏法日本にわたて七百余年・一切経は五千七千・宗は八宗十宗・智人は稲麻のごとし弘通は竹葦ににたり、しかれども仏には阿弥陀仏・諸仏の名号には弥陀の名号ほどひろまりてをはする