Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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下山御消息  (11/22) 諸仏の讎敵
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三千の法門を盗み入れて人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者なりと心得給へり、例せば澄観法師が天台大師の十法成乗の観法を華厳に盗み入れて還つて天台宗を末教と下せしが如しと御存知あて宗の一字を削りて叡山は唯七宗たるべしと云云、而るを弘法大師と申し天下第一の自讃毀他の大妄語の人、教大師御入滅の後対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ、然れども本師の跡を紹継する人人は叡山は唯七宗にてこそあるべきに教大師の第三の弟子・慈覚大師と叡山第一の座主・義真和尚の末弟子智証大師と此の二人は漢土に渡り給いし時日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば天台・真言の碩学等に値い給う毎に勝劣・浅深を尋ね給う、然るに其の時の明匠等も或は真言宗勝れ或は天台宗勝れ或は二宗斉等し或は理同事異といへども倶に慥の証文をば出さず、二宗の学者等併しながら胸臆の言なり然るに慈覚大師は学極めずして帰朝して疏十四巻を作れり所謂・金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻なり此の疏の体たらくは法華経と大日経等の三部経とは理は同く事は異なり等云云、此の疏の心は大日経の疏と義釈との心を出すが・なを不審あきらめがたかりけるかの故に本尊の御前に疏を指し置て此の疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に夢に日輪を射ると云云、うちをどろきて吉夢なり真言勝れたる事疑なしとおもひて宣旨を申し下す日本国に弘通せんとし給いしがほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなくうせ給いぬ、而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給う所謂・真言・法華斉等なり譬ば鳥の二の翼・人の両目の如し又叡山も八宗なるべしと云云、此の両人は身は叡山の雲の上に臥すといへども心は東寺里中の塵にまじはる本師の遺跡を紹継する様にて還つて聖人の正義を忽諸し給へり、法華経の於諸経中最在其上の上の字をうちかへして大日経の下に置き先づ大師の怨敵となるのみならず存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵となり給う、されば慈覚大師の夢に日輪を射ると見しは是なり仏法の大科此れよりはじまる日本国亡国となるべき先兆なり、棟梁たる法華経既に大日経の椽梠となりぬ、王法も下


剋上して王位も臣下に随うべかりしを其の時又一類の学者有りて堅く此の法門を諍論せし上座主も両方を兼ねて事いまだきれざりしかば世も忽にほろびず有りけるか、例せば外典に云く「大国には諍臣七人・中国には五人・小国には三人・諍論すれば仮令政道に謬誤出来すれども国破れず乃至家に諫子あれば不義におちず」と申すが如し仏家も又是くの如し、天台・真言の勝劣・浅深事きれざりしかば少少の災難は出来せしかども青天にも捨てられず黄地にも犯されず一国の内の事にてありし程に人王七十七代・後白河の法皇の御宇に当りて天台座主明雲・伝教大師の止観院の法華経の三部を捨てて慈覚大師の総持院の大日経の三部に付き給う、天台山は名計りにて真言の山になり法華経の所領は大日経の地となる天台と真言と座主と大衆と敵対あるべき序なり、国又王と臣と諍論して王は臣に随うべき序なり一国乱れて他国に破らるべき序なり、然れば明雲は義仲に殺されて院も清盛にしたがひられ給う、然れども公家も叡山も共に此の故としらずして世静ならずすぐる程に災難次第に増長して人王八十二代隠岐の法皇の御宇に至つて一災起れば二災起ると申して禅宗・念仏宗起り合いぬ、善導房は法華経は末代には千中無一とかき、法然は捨閉閣抛と云云、禅宗は法華経を失はんがために教外別伝・不立文字とののしる、此の三の大悪法鼻を並べて一国に出現せしが故に此の国すでに梵釈・二天・日月・四王に捨てられ奉り守護の善神も還つて大怨敵とならせ給う然れば相伝の所従に責随えられて主上・上皇共に夷島に放たれ給い御返りなくしてむなしき島の塵となり給う詮ずる所は実経の所領を奪い取りて権経たる真言の知行となせし上日本国の万民等・禅宗・念仏宗の悪法を用いし故に天下第一・先代未聞の下剋上出来せり而るに相州は謗法の人ならぬ上・文武きはめ尽せし人なれば天許し国主となす随つて世且く静なりき、然而又先に王法を失いし真言漸く関東に落ち下る存外に崇重せらるる故に鎌倉又還つて大謗法・一闡提の官僧・禅僧・念仏僧の檀那と成りて新寺を建立して旧寺を捨つる故に天神は眼を瞋らして此の国を睨め地神は憤を含めて身を震ふ長星は一天に覆ひ地震は四海を動かす余此等の災夭に


驚いて粗内典五千七千外典三千等を引き見るに先代にも希なる天変地夭なり、然而儒者の家には記せざれば知る事なし仏法は自迷なればこころへず此の災夭は常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず定めて仏法より事起るかと勘へなしぬ、先ず大地震に付て去る正嘉元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん其の夜の害もまぬかれぬ、然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて大事の政道を破る日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもかへりみざるか御式目をも破らるるか御起請文を見るに梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる、余存外の法門を申さば子細を弁えられずば日本国の御帰依の僧等に召し合せられて其れになを事ゆかずば漢土・月氏までも尋ねらるべし、其れに叶わずば子細ありなんとて且くまたるべし、子細も弁えぬ人人が身のほろぶべきを指をきて大事の起請を破らるる事心へられず。

自讃には似たれども本文に任せて申す余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり、一には父母なり二には師匠なり三には主君の御使なり、経に云く「即如来の使なり」と又云く「眼目なり」と又云く「日月なり」と章安大師の云く「彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり」等云云、而るに謗法一闡提・国敵の法師原が讒言を用いて其義を弁えず左右なく大事たる政道を曲げらるるはわざとわざはひをまねかるるか墓無し墓無し、然るに事しづまりぬれば科なき事は恥かしきかの故にほどなく召返されしかども故最明寺の入道殿も又早くかくれさせ給いぬ、当御時に成りて或は身に疵をかふり或は弟子を殺され或は所所を追れ或はやどをせめしかば一日片時も地上に栖むべき便りなし、是に付けても仏は一切世間・多怨難信と説き置き給う諸の菩薩は我不