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日蓮大聖人・池田大作

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主君耳入此法門免与同罪事  (2/2) 法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養す…
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の功徳に当つて候品ぞかし、されば殺生をなす者は三世の諸仏にすてられ六欲天も是を守る事なし、此の由は世間の学者も知れり日蓮もあらあら意得て候、但し殺生に子細あり彼の殺さるる者の失に軽重あり、我が父母主君・我が師匠を殺せる者を・かへりて害せば同じつみなれども重罪かへりて軽罪となるべし、此れ世間の学者知れる処なり、但し法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ、五逆の罪人も彼を怨とすれば必ず人天に生を受く、仙予国王・有徳国王は五百・無量の法華経のかたきを打ちて今は釈迦仏となり給う、其の御弟子迦葉・阿難・舎利弗・目連等の無量の眷属は彼の時に先を懸け陣をやぶり或は殺し或は害し或は随喜せし人人なり、覚徳比丘は迦葉仏なり、彼の時に此の王王を勧めて法華経のかたきをば父母・宿世・叛逆の者の如くせし大慈・大悲の法華経の行者なり。

今の世は彼の世に当れり、国主日蓮が申す事を用ゆるならば彼がごとく・なるべきに用いざる上かへりて彼がかたうどとなり一国こぞりて日蓮・をかへりてせむ、上一人より下万民にいたるまで皆五逆に過ぎたる謗法の人となりぬ、されば各各も彼が方ぞかし、心は日蓮に同意なれども身は別なれば与同罪のがれがたきの御事に候に主君に此の法門を耳にふれさせ進せけるこそ・ありがたく候へ、今は御用いなくもあれ殿の御失は脱れ給ひぬ、此れより後には口をつつみて・おはすべし、又天も一定殿をば守らせ給うらん、此れよりも申すなり。

かまへて・かまへて御用心候べし、いよいよ・にくむ人人ねらひ候らん、御さかもり夜は一向に止め給へ、只女房と酒うち飲んで・なにの御不足あるべき、他人のひるの御さかもりおこたるべからず、酒を離れて・ねらうひま有るべからず、返す返す、恐恐謹言。

  九月二十六日                   日蓮花押

   左衛門尉殿御返事


四条金吾殿女房御返事

                    文永十二年正月 五十四歳御作

所詮日本国の一切衆生の目をぬき神をまどはかす邪法・真言師にはすぎず是は且らく之を置く、十喩は一切経と法華経との勝劣を説かせ給うと見えたれども仏の御心は・さには候はず、一切経の行者と法華経の行者とを・ならべて法華経の行者は日月等のごとし諸経の行者は衆星燈炬のごとしと申す事を詮と思し食され候、なにを・もつて・これを・しるとならば第八の譬の下に最大事の文あり、所謂此の経文に云く「有能受持是経典者亦復如是於一切衆生中亦為第一」等云云、此の二十二字は一経・第一の肝心なり一切衆生の眼目なり、文の心は法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は衆星・江河・凡夫のごとしと・とかれて候経文なり、されば此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ、梵王・帝釈は・あをがせ給うらめと・うれしさ申すばかりなし、又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば常の法華経の行者にては候はぬにはんべり、是経典者とて者の文字はひととよみ候へば此の世の中の比丘・比丘尼・うば塞・うばいの中に法華経を信じまいらせ候・人人かと見えまいらせ候へば・さにては候はず、次下の経文に此の者の文字を仏かさねてとかせ給うて候には若有女人ととかれて候、日蓮法華経より外の一切経をみ候には女人とは・なりたくも候はず、或経には女人をば地獄の使と定められ或経には大蛇と・とかれ或経にはまがれ木のごとし或経には仏種をいれる者とこそとかれて候へ、仏法ならず外典にも栄啓期と申せし者の三楽をうたひし中に無女楽と申して天地の中女人と生れざる事を一の楽とこそ・たてられて候へ、わざはひは三女より・をこれりと定められて候に、此の法華経計りに此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたりとみえて候、所詮・


一切の人にそしられて候よりも女人の御ためには・いとをしと・をもはしき男に・ふびんと・をもはれたらんにはすぎじ、一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・乃至梵王・帝釈・日月等にだにも・ふびんと・をもはれまいらせなば・なにかくるしかるべき、法華経にだにも・ほめられたてまつりなば・なにか・くるしかるべき。

今三十三の御やくとて御布施送りたびて候へば釈迦仏・法華経・日天の御まへに申し上て候、又人の身には左右のかたあり、このかたに二つの神をはします一をば同名・二をば同生と申す、此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまほらせんがために母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで影のごとく眼のごとく・つき随いて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば・つゆちりばかりも・のこさず天にうたへまいらせ候なるぞ。

華厳経の文にて候を止観の第八に天台大師よませ給へり、但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれども・すつると・みえて候、例せば大将軍よはければ・したがうものも・かひなし、弓よはければ絃ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり、而るにさえもん殿は俗の中・日本には・かたをならぶべき者もなき法華経の信者なり、是にあひつれさせ給いぬるは日本第一の女人なり、法華経の御ためには竜女とこそ仏は・をぼしめされ候らめ、女と申す文字をば・かかるとよみ候、藤の松にかかり女の男にかかるも今は左衛門殿を師と・せさせ給いて法華経へ・みちびかれさせ給い候へ。

又三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給うべし、七難即滅・七福即生とは是なり、年は・わかうなり福はかさなり候べし、あなかしこ・あなかしこ。

  正月二十七日                    日蓮花押

   四条金吾殿女房御返事