Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一代五時継図  (27/33) 黒衣の謗法なる必ず地獄に堕す
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阿弥陀経に云く況や三悪道無し文、無三悪と説くと雖も修羅・人・天之れ有り。

四十八願の第一に云く三悪趣無し設し我れ仏を得んに国に地獄・餓鬼・畜生・有らば正覚を取らじ。

第二の願に云く三悪道に更えらず極楽に於て又死す可しと云う設し我れ仏を得るも十方の無量不可思議の諸三悪道には正覚を取らじ文。

第三十五の願に云く聞名転女人往生せざる事設し我仏を得んに十方の無量不可思議の諸仏の世界に其れ女人有て我が名号を聞いて歓喜信楽して菩提心を発して女身を厭悪せん寿終の後復女像と為らば正覚を取らじ文。

一、黒衣並びに平念珠地獄に堕つ可き事

法鼓経に云く黒衣の謗法なる必ず地獄に堕す文。

勢至経に云く平形の念珠を以ゆる者は此れは是れ外道の弟子なり我が弟子に非ず仏子我が遺弟必ず円形の念珠を用ゆ可し次第を超越する者は妄語の罪に因つて必ず地獄に堕せん文。

一、天台の念仏の事

     ┌─一 大意    ┌─一 発大心
                   
     ├─二 釈名    ├─二 修大行         
                        
     ├─三 躰相 五略者┼─三 感大果    
              
     ├─四 摂法    ├─四 裂大網 ┌─一 本尊は阿弥陀
                        常坐三昧文殊説経
     ├─五 偏円    └─五 帰大処    ・文殊問経に依る
止観十章者                 ├─二 本尊は阿弥陀
     ├─六 方便               常行三昧般舟三昧      
                 四種三昧─┤   経に依る     
     ├─七 正観            
                      ├─三 本尊は別有

     ├─八 果報               半行半坐三昧方等経
                         ・法華経に依る
     ├─九 起教            
                      └─四 本尊は観音
     └─十 指帰                非行非坐三昧説経・
                           説善・説悪・説無記
 
                     右四種三昧の次では先段に之を注す       

止観の七に云く若し四種三昧修習の方便は通じて上に説くが如し、唯法華懺法のみ別して六時五悔に約して重ねて方便を作す今五悔に就いて其の位相を明す文。

弘決の七に云く四種三昧は通じて二十五法を用いて通の方便と為す、若し法華を行ずるには別して五悔を加う余行に通ぜず文。

第七の正修止観とは止の五に云く前の六重は修多羅に依つて以て妙解を開き今は妙解に依つて以て正行を立つ文。

十疑の第四に云く釈迦大師一代の説法処処の聖教に唯衆生心を専にして偏に阿弥陀仏を念じて西方極楽世界に生ぜんことを求めよと勧めたまえり文。

七疑に云く又聞く西国の伝に云く三りの菩薩有り一を無著と名け二を世親と名け三を獅子覚と名く文。

八疑に云く雑集論に云く若し安楽国土に生ぜんと願わば即ち往生を得る等文。

一、天台御臨終の事

止観の一に云く安禅として化す位五品に居す文。

弘決の一に云く安禅として化す位五品に居す等とは此れ臨終の行位を出すなり、禅定を出でずして端坐して滅を取る故に安禅として化すと云う文、又云く法華と観無量寿の二部の経題を唱えしむ文、又云く香湯を索めて口を漱ぎ竟つて十如・四不生・十法界・四教・三観・四悉・四諦・十二縁を説くに一一の法門・一切の法を摂す、吾今最後


に観を策まし玄を談ず最後善寂なり○跏趺して三宝の名を唱えて三昧に入るが如し即ち其の年十一月二十四日未の時・端坐して滅に入りたもう文。

又云く大師生存に常に兜率に生ぜん事を願う臨終に乃ち観音来迎すと云う、当に知るべし物に軌とり機に随い縁に順じて化を設く一准なる可からざることを文、又云く汝善根を種うるに嬾くして他の功徳を問う盲の乳を問い蹶きたる者の路を訪うが如し実を告げて何の益かあらん文。

選択集の上に云く願くは西方の行者各其の意楽に随い或は法華を読誦して以て往生の業と為し、或は華厳を読誦し以て往生の業と為し或は遮那教主及以び諸尊の法等を受持し読誦して往生の業と為し或は般若・方等及以び涅槃経等を解説し書写して以て往生の業と為す是れ則ち浄土宗観無量寿経の意なり文。

又云く問うて曰く爾前経の中何ぞ法華を摂するや、答えて曰く今言う所の摂とは権実偏円等の義を論ずるに非ず、読誦大乗の言は普く前後の大乗諸経に通ず文。

観無量寿経に云く爾の時に王舎大城に一りの太子有す阿闍世と名く、調達悪友の教に随順して父の王の頻婆沙羅を収執して幽閉して七重の室内に置く文。

法華経の序品に云く韋提希の子阿闍世王・若干百千の眷属と倶なり文。

恵心の往生要集の上に云く夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり道俗・貴賤誰か帰せざらん、但顕密の教法其の文一に非ず事理の業因其の行惟れ多し利智精進の人は未だ難と為さず、予が如き頑魯の者・豈敢てせんや、是の故に念仏の一門に依つて聊か経論の要文を集め之を披らき之を修するに覚り易く行じ易し文。

恵心往生要集を破し二十三年已後に一乗要決を作る、一乗要決の上に云く諸乗の権実は古来の諍なり倶に経論に拠つて互に是非を執す、余寛弘丙午の歳冬十月・病中に歎じて曰く仏法に遇うと雖も未だ仏意を了せず若し