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日蓮大聖人・池田大作

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本尊問答抄  (9/10) 何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめ…
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の武士なれば教法の邪正をば知らずただ三宝をばあがむべき事とばかり思ふゆへに自然としてこれを用いきたりてやうやく年数を経る程に今他国のせめをかうふりて此の国すでにほろびなんとす、関東八箇国のみならず叡山・東寺・園城・七寺等の座主・別当・皆関東の御はからひとなりぬるゆへに隠岐の法皇のごとく大悪法の檀那と成定まり給いぬるなり、国主となる事は大小皆・梵王・帝釈・日月・四天の御計いなり、法華経の怨敵となり定まり給はば忽に治罰すべきよしを誓い給へり、随つて人王八十一代・安徳天皇に太政入道の一門与力して兵衛佐頼朝を調伏せんがために、叡山を氏寺と定め山王を氏神とたのみしかども安徳は西海に沈み明雲は義仲に殺さる一門・皆一時にほろび畢んぬ、第二度なり今度は第三度にあたるなり。

日蓮がいさめを御用いなくて真言の悪法を以て大蒙古を調伏せられば日本国還つて調伏せられなむ還著於本人と説けりと申すなり、然らば則ち罰を以て利生を思うに法華経にすぎたる仏になる大道はなかるべきなり現世の祈祷は兵衛佐殿・法華経を読誦する現証なり。

此の道理を存ぜる事は父母と師匠との御恩なれば父母はすでに過去し給い畢んぬ、故道善御房は師匠にておはしまししかども法華経の故に地頭におそれ給いて心中には不便とおぼしつらめども外にはかたきのやうににくみ給いぬ、後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども臨終にはいかにやおはしけむおぼつかなし地獄まではよもおはせじ又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず中有にやただよひましますらむとなげかし、貴辺は地頭のいかりし時・義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして生死をはなれさせ給うべし

此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ


経には上行・無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見へて候へどもいまだ見へさせ給はず、日蓮は其の人に候はねどもほぼこころえて候へば地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して況滅度後のほこさきに当り候なり、願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候、其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ、又これより申さんと存じ候、いかにも御房たちはからい申させ給へ。

                            日蓮花押


諸宗問答抄

                    建長七年 三十四歳御作

                    与 三位房日行

問うて云く抑法華宗の法門は天台・妙楽・伝教等の御釈をば御用い候や如何、答て云く最も此の御釈共を明鏡の助証として立て申す法門にて候、問て云く何を明鏡として立てられ候ぞや彼の御釈共には爾前権教を簡び捨てらる事候はず、随つて或は初後仏慧・円頓義斉とも或は此妙彼妙・妙義殊なること無しとも釈せられて華厳と法華との仏慧同じ仏慧にて異なること無しと釈せられ候、通教・別教の仏慧も法華と同じと見えて候何を以て偏に法華勝れたりとは仰せられ候や意得ず候如何、答て云く天台の御釈を引かれ候は定て天台宗にて御坐候らん、然るに天台の御釈には教道・証道とて二筋を以て六十巻を造られて候、教道は即教相の法門にて候証道は即内証の悟の方にて候、只今引れ候釈の文共は教証の二道の中には何れの文と御得意候て引かれ候ぞや、若し教門の御釈にて候わば教相には三種の教相を立て爾前法華を釈して勝劣を判ぜられ候、先づ三種の教相と申すは何にて候ぞやと之を尋ぬ可し、若し三種の教相と申すは一には根性の融不融の相・二には化導の始終不始終の相・三には師弟の遠近不遠近の相なりと答へばさては只今引かれ候御釈は何れの教相の下にて引かれ候やと尋ぬ可きなり、若し根性の融不融の下にて釈せらると答へば又押し返して問う可し根性の融不融の下には約教・約部とて二の法門あり何れぞと尋ぬ可し、若し約教の下と答へば又問う可し約教約部に付いて与奪の二の釈候只今の釈は与の釈なるか奪の釈なるかと之を尋ね可し、若し約教・約部をも与奪をも弁えずと云わばさては・さては天台宗の法門は堅固に無沙汰にて候けり、尤も天台法華の法門は教相を以て諸仏の御本意を宣られたり若し教相に闇くして法華の法門を云ん者は雖讃法華経還死法華心とて法華の心を殺すと云う事にて候、其の上「若し余経を弘むるに教相を明ら