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日蓮大聖人・池田大作

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本尊問答抄  (6/10) 片海の海人が子なり
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かのゆへにからくして同の義をいへば一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。

然らば日本国中に数十万の寺社あり皆真言宗なりたまたま法華宗を並ぶとも真言は主の如く法華は所従の如くなり若しくは兼学の人も心中は一同に真言なり、座主・長吏・検校・別当・一向に真言たるうへ上に好むところ下皆したがふ事なれば一人ももれず真言師なり、されば日本国・或は口には法華経最第一とはよめども心は最第二・最第三なり或は身口意共に最第二三なり、三業相応して最第一と読める法華経の行者は四百余年が間一人もなしまして能持此経の行者はあるべしともおぼへず、如来現在・猶多怨嫉・況滅度後の衆生は上一人より下万民にいたるまで法華経の大怨敵なり。

然るに日蓮は東海道・十五箇国の内・第十二に相当る安房の国長狭の郡・東条の郷・片海の海人が子なり、生年十二同じき郷の内・清澄寺と申す山にまかり登り住しき、遠国なるうへ寺とはなづけて候へども修学の人なし然而随分・諸国を修行して学問し候いしほどに我が身は不肖なり人はおしへず十宗の元起勝劣たやすくわきまへがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して一切の経論を勘て十宗に合せたるに倶舎宗は浅近なれども一分は小乗経に相当するに似たり、成実宗は大小兼雑して謬悞あり律宗は本は小乗・中比は権大乗・今は一向に大乗宗とおもへり又伝教大師の律宗あり別に習う事なり、法相宗は源権大乗経の中の浅近の法門にてありけるが次第に増長して権実と並び結句は彼の宗宗を打ち破らんと存ぜり譬えば日本国の将軍将門・純友等のごとし下に居て上を破る、三論宗も又権大乗の空の一分なり此れも我は実大乗とおもへり、華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり譬えば摂政関白のごとし然而法華経を敵となして立てる宗なる故に臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし、浄土宗と申すも権大乗の一分なれども善導法然が・たばかりかしこくして諸経をば上げ観経をば下し正像の機をば上げ末法の機をば下して末法の機に相叶える念仏を取り出して機を以て経を打ち一代の聖教を失いて念仏


の一門を立てたり譬えば心かしこくして身は卑しき者が身を上げて心はかなきものを敬いて賢人をうしなふがごとし、禅宗と申すは一代聖教の外に真実の法有りと云云譬えばをやを殺して子を用い主を殺せる所従のしかも其の位につけるがごとし、真言宗と申すは一向に大妄語にて候が深く其の根源をかくして候へば浅機の人あらはしがたし一向に誑惑せられて数年を経て候先ず天竺に真言宗と申す宗なし然れども有りと云云、其の証拠を尋ぬ可きなり所詮大日経ここにわたれり法華経に引き向けて其の勝劣を見候処に大日経は法華経より七重下劣の経なり証拠彼の経・此の経に分明なり此に之を引かずしかるを或は云く法華経に三重の主君・或は二重の主君なりと云云以ての外の大僻見なり、譬えば劉聡が下劣の身として愍帝に馬の口をとらせ超高が民の身として横に帝位につきしがごとし又彼の天竺の大慢婆羅門が釈尊を床として坐せしがごとし漢土にも知る人なく日本にもあやしめずしてすでに四百余年をおくれり。

是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ結句は此の国・他国にやぶられて亡国となるべきなり、此の事日蓮独り勘え知れる故に仏法のため王法のため諸経の要文を集めて一巻の書を造る仍つて故最明寺入道殿に奉る立正安国論と名けき、其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し、所詮現証を引いて申すべし抑人王八十二代・隠岐の法王と申す王有き去ぬる承久三年太歳辛巳五月十五日伊賀太郎判官光末を打捕まします鎌倉の義時をうち給はむとての門出なり、やがて五畿七道の兵を召して相州鎌倉の権の太夫義時を打ち給はんとし給うところに還りて義時にまけ給いぬ、結句・我が身は隠岐の国にながされ太子二人は佐渡の国・阿波の国にながされ給う公卿七人は忽に頸をはねられてき、これはいかにとしてまけ給いけるぞ国王の身として民の如くなる義時を打ち給はんは鷹の雉をとり猫の鼠を食むにてこそあるべけれこれは猫のねずみにくらはれ鷹の雉にとられたるやうなり、しかのみならず調伏力を尽せり所謂天台の座主・慈円僧正・真言の長者・仁和寺の御室・園城寺の長吏・総


じて七大寺・十五大寺・智慧戒行は日月の如く、秘法は弘法・慈覚等の三大師の心中の深密の大法・十五壇の秘法なり、五月十九日より六月の十四日にいたるまであせをながしなづきをくだきて行いき最後には御室・紫宸殿にして日本国にわたりていまだ三度までも行はぬ大法・六月八日始めて之を行う程に・同じき十四日に関東の兵軍・宇治勢多をおしわたして洛陽に打ち入りて三院を生け取り奉りて九重に火を放ちて一時に焼失す、三院をば三国へ流罪し奉りぬ又公卿七人は忽に頸をきる、しかのみならず御室の御所に押し入りて最愛の弟子の小児勢多伽と申せしをせめいだして終に頸をきりにき御室思いに堪えずして死に給い畢んぬ母も死す童も死す、すべて此のいのりをたのみし人いく千万といふ事をしらず死にきたまたまいきたるもかひなし、御室祈りを始め給いし六月八日より同じき十四日までなかをかぞふれば七日に満じける日なり、此の十五壇の法と申すは一字金輪・四天王・不動・大威徳・転法輪・如意輪・愛染王・仏眼・六字・金剛童子・尊星王・太元守護経等の大法なり此の法の詮は国敵王敵となる者を降伏して命を召し取りて其の魂を密厳浄土へつかはすと云う法なり、其の行者の人人も又軽からず天台の座主慈円・東寺・御室・三井の常住院の僧正等の四十一人並びに伴僧等・三百余人なり云云、法と云ひ行者と云ひ又代も上代なりいかにとしてまけ給いけるぞたとひかつ事こそなくとも即時にまけおはりてかかるはぢにあひたりける事、いかなるゆへといふ事を余人いまだしらず、国主として民を討たん事鷹の鳥をとらんがごとしたとひまけ給うとも一年・二年・十年・二十年もささうべきぞかし五月十五日におこりて六月十四日にまけ給いぬわづかに三十余日なり、権の大夫殿は此の事を兼てしらねば祈祷もなしかまへもなし。

然而日蓮小智を以て勘えたるに其の故あり所謂彼の真言の邪法の故なり僻事は一人なれども万国のわづらひなり一人として行ずとも一国二国やぶれぬべし況や三百余人をや国主とともに法華経の大怨敵となりぬいかでかほろびざらん、かかる大悪法としをへてやうやく関東におち下りて諸堂の別当供僧となり連連と行えり本より辺域