Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

災難対治抄  (6/8) 諸の悪比丘横に法制を作りて仏戒に依らず
83

行を執せんや行者能く之を思量せよと。

又云く貞元入蔵録の中・始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで顕密の大乗経総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり皆須く読誦大乗の一句に摂すべし当に知るべし随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還つて定散の門を閉づ一たび開きて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なり文、又最後結句の文に云く「夫れ速に生死を離れんと欲せば二種の勝法の中に且く聖道門を閣て選んで浄土門に入れ浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に且く諸の雑行を抛て選んで正行に帰すべし、」已上選択集の文なり。

今之を勘うるに日本国中の上下万人深く法然上人を信じて此の書を挊ぶ故に無智の道俗此の書の中の捨閉閣抛等の字を見て浄土の三部経・阿弥陀仏より外は諸経・諸仏・菩薩・諸天善神等に於て捨閉閣抛等の思を作し彼の仏経等に於て供養受持等の志を起さず還つて捨離の心を生ず故に古の諸大師等の建立せし所の鎮護国家の道場零落せしむと雖も護惜建立の心無し護惜建立の心無きが故に亦読誦供養の音絶え守護の善神も法味を嘗めざるが故に国を捨てて去り四依の聖人も来らざるなり、偏に金光明・仁王等の一切の聖人去る時は七難必ず起らん我等四王皆悉く捨去せん既に捨離し已れば其の国当に種種の災禍有るべしの文に当れり豈諸悪比丘多く名利を求め、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲の人に非ずや。

疑つて云く国土に於て選択集を流布せしむるに依つて災難起ると云わば此の書無き已前は国中に於て災難無かりしか、答えて曰く彼の時も亦災難有り云く五常を破り仏法を失いし者之有りしが故なり所謂周の宇文・元嵩等是なり、難じて曰く今の世の災難五常を破りしが故に之起ると云わば何ぞ必ずしも選択集流布の失に依らんや、答えて曰く仁王経に云く「大王・未来の世の中に諸の小国王・四部の弟子諸の悪比丘横に法制を作りて仏戒に依らず亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴さず七難必ず起らん」と、金光明経に云く「供養し尊重し讃歎


せず其の国に当に種種の災禍有るべし」涅槃経に云く「無上の大涅槃経を憎悪す」等と云云、豈弥陀より外の諸仏諸経等を供養し礼拝し讃歎するを悉く雑行と名くると云うに当らざらんや、難じて云く仏法已前国に於て災難有るは何ぞ謗法の者の故ならんや、答えて云く仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり礼義を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり、問うて云く其の証拠如何、答えて曰く金光明経に云く「一切世間の所有る善論は皆此の経に因る」と、法華経に云く「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と普賢経に云く「正法をもつて国を治め人民を邪枉せず是れを第三懺悔を修すと名く」と、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、広釈に云く「仏三人を遣して且く震旦を化す五常以て五戒の方を開く昔は大宰・孔子に問うて云く三皇五帝は是れ聖人なるか孔子答えて云く聖人に非ず又問う夫子是れ聖人なるか亦答う非なり又問う若し爾らば誰か聖人なる、答えて云く吾聞く西方に聖有り釈迦と号く」文。

此等の文を以て之を勘うるに仏法已前の三皇五帝は五常を以て国を治む夏の桀・殷の紂・周の幽等の礼義を破りて国を喪すは遠く仏誓の持破に当れり。

疑つて云く若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者は何ぞ此の難に値えるや、答えて曰く金光明経に云く「枉げて辜無きに及ばん」と、法華経に云く「横に其の殃に羅る」等と云云、此等の文を以て之を推するに法華真言等を行ずる者も未だ位深からず信心薄く口に誦すれども其の義を知らず一向名利の為に之を誦す先生の謗法の失未だ尽きず外に法華等を行じて内に選択の心を存す此の災難の根源等を知らざる者は此の難を免れ難きか。

疑つて云く若し爾らば何ぞ選択集を信ずる謗法者の中に此の難に値わざる者之有りや、答えて曰く業力不定なり順現業は法華経に云く此の人現世に白癩の病乃至諸の悪重病を得んと、仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子


無く六親不和にして天神祐けず疾疫悪鬼日に来りて侵害し災怪首尾し連禍せん」と、涅槃経に云く「若し是の経典を信ぜざる者有らば若は臨終の時或は荒乱に値い刀兵競い起り帝王の暴虐・怨家の讎隙に侵逼せられん」已上、順次生業は法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば其の人命終して阿鼻獄に入らん」と、仁王経に云く「人仏教を壊らば死して地獄餓鬼畜生に入らん」已上、順後業等は之を略す。

問うて曰く如何にして速かに此の災難を留む可きや、答えて曰く速に謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり、問うて曰く如何が対治す可き、答えて曰く治方亦経に之有り涅槃経に曰く仏言く唯一人を除いて余の一切に施せ正法を誹謗して是の重業を造る唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余の者に施さば一切讃歎すべし已上、此の文の如んば施を留めて対治す可しと見えたり此の外にも亦治方是れ多く具に出すに暇あらず、問うて曰く謗法の者に於て供養を留め苦治を加うるは罪有りや不や、答えて曰く涅槃経に云く、今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆当に苦治すべし尚罪有ること無けん已上

問うて曰く汝僧形を以て比丘の失を顕すは罪業に非ずや、答えて曰く涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」已上、予此の文を見るが故に仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚からずして法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つ可き由を称す、此の道理を聞き解く道俗の中に少少は廻心の者有り若し一度高覧を経ん人は上に挙ぐる所の如く之を行ぜずんば大集経の文の若し国王有つて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥を出さん乃至命終して大地獄に生ぜんとの記文を免かれ難きか、仁王経に云く「若し王の福尽きん時は七難必ず起らん」と、此の文に