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日蓮大聖人・池田大作

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頼基陳状  (10/10) 頼基が良観房を蚊蚋蝦蟆の法師なりと申すとも…
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存外に御帰依あり、故に梵釈・二天・日月・四天いかりを成し先代・未有の天変・地夭を以ていさむれども・用い給はざれば鄰国に仰せ付けて法華経・誹謗の人を治罰し給う間、天照太神・正八幡も力及び給はず、日蓮聖人・一人・此の事を知し食せり、此くの如き厳重の法華経にて・をはして候間、主君をも導きまいらせむと存じ候故に・無量の小事をわすれて今に仕われまいらせ候、頼基を讒言申す仁は君の御為不忠の者に候はずや、御内を罷り出て候はば君たちまちに無間地獄に堕ちさせ給うべし、さては頼基・仏に成り候ても甲斐なしとなげき存じ候。

抑彼の小乗戒は富楼那と申せし大阿羅漢・諸天の為に二百五十戒を説き候しを・浄名居士たんじて云く「穢食を以て宝器に置くこと無れ」等云云、鴦崛摩羅は文殊を呵責し・嗚呼蚊蚋の行は大乗空の理を知らずと、又小乗戒をば文殊は十七の失を出だし如来は八種の譬喩を以て是をそしり給うに・驢乳と説き蝦蟆に譬えられたり、此れ等をば鑒真の末弟子は伝教大師をば悪口の人とこそ・嵯峨天皇には奏し申し候しかども経文なれば力及び候はず、南都の奏状やぶれて叡山の大戒壇立ち候し上は、すでに捨てられ候し小乗に候はずや、頼基が良観房を蚊蚋蝦蟆の法師なりと申すとも経文分明に候はば御とがめあるべからず

剰へ起請に及ぶべき由仰せを蒙むるの条存外に歎き入て候、頼基・不法時病にて起請を書き候程ならば君忽に法華経の御罰を蒙らせ給うべし、良観房が讒訴に依りて釈迦如来の御使・日蓮聖人を流罪し奉りしかば聖人の申し給いしが如く百日が内に合戦出来して若干の武者滅亡せし中に、名越の公達横死にあはせ給いぬ、是れ偏に良観房が失ひ奉りたるに候はずや、今又・竜象・良観が心に用意せさせ給いて頼基に起請を書かしめ御座さば君又其の罪に当らせ給はざるべしや、此くの如き道理を知らざる故か、又君をあだし奉らむと思う故か、頼基に事を寄せて大事を出さむと・たばかり候・人等・御尋ねあつて召し合わせらるべく候、恐惶謹言。

  建治三年丁丑六月二十五日             四条中務尉頼基・請文


四条金吾殿御返事

去月二十五日の御文・同月の二十七日の酉の時に来りて候、仰せ下さるる状と又起請かくまじきよしの御せいじやうとを見候へば優曇華のさきたるをみるか赤栴檀のふたばになるをえたるか、めづらし・かうばし、三明六通を得給う上・法華経にて初地・初住にのぼらせ給へる証果の大阿羅漢・得無生忍の菩薩なりし舎利弗・目連・迦葉等だにも娑婆世界の末法に法華経を弘通せん事の大難こらへかねければ・かなふまじき由・辞退候いき、まして三惑未断の末代の凡夫が争か此経の行者となるべき、設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも妻子を帯せる無智の俗なんどは争か叶うべき、中中・信ぜざらんはよかりなん・すへ・とをらずしばしならば人に・わらはれなんと不便にをもひ候いしに、度度の難・二箇度の御勘気に心ざしを・あらはし給うだにも不思議なるに、かく・おどさるるに二所の所領をすてて法華経を信じ・とをすべしと御起請候事いかにとも申す計りなし、普賢・文殊等なを末代はいかんがと仏思し食して妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首・上行等の四人にこそ仰せつけられて候へ・只事の心を案ずるに日蓮が道をたすけんと上行菩薩・貴辺の御身に入りかはらせ給へるか又教主釈尊の御計いか、彼の御内の人人うちはびこつて良観・竜象が計ひにてや・ぢやうあるらん、起請をかかせ給いなば・いよいよかつばらをごりて・かたがたに・ふれ申さば鎌倉の内に日蓮が弟子等一人もなく・せめうしなひなん、凡夫のならひ身の上は・はからひがたし、これを・よくよく・しるを賢人・聖人とは申すなり、遠きをば・しばらく・をかせ給へ、近きは武蔵のかう殿・両所をすてて入道になり結局は多くの所領・男女のきうだち御ぜん等をすてて御遁世と承わる、とのは子なし・たのもしき兄弟なし・わづかの二所の所領なり、一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、されば同くは・なげきたるけしきなくて此の状に・かきたるが・


ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん、設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかくたのませ給うべし。

日蓮はながされずして・かまくらにだにも・ありしかば・有りし・いくさに一定打ち殺されなん、此れも又御内にては・あしかりぬべければ釈迦仏の御計いにてや・あるらむ、陳状は申して候へども又それに僧は候へども・あまりのおぼつかなさに三位房をつかはすべく候に・いまだ所労きらきらしく候はず候へば・同事に此の御房をまいらせ候、だいがくの三郎殿か・たきの太郎殿か・とき殿かに・いとまに随いて・かかせてあげさせ給うべし、これはあげなば事きれなむ・いたう・いそがずとも内内うちを・したため・又ほかの・かつばらにも・あまねく・さはがせて・さしいだしたらば若や此の文かまくら内にも・ひろうし上へもまいる事もやあるらん、わざはひの幸はこれなり。

法華経の御事は已前に申しふりぬ、しかれども小事こそ善よりは・をこて候へ、大事になりぬれば必ず大なる・さはぎが大なる幸となるなり、此の陳状・人ごとに・みるならば彼等がはぢあらわるべし、只一口に申し給へ我とは御内を出て所領をあぐべからず、上より・めされいださむは法華経の御布施・幸と思うべしと・ののしらせ給へ、かへすがへす奉行人に・へつらうけしきなかれ、此の所領は上より給たるにはあらず、大事の御所労を法華経の薬をもつて・たすけまいらせて給て候所領なれば召すならば御所労こそ又かへり候はむずれ、爾時は頼基に御たいじやう候とも用ひまいらせ候まじく候とうちあて・にくさうげにて・かへるべし。

あなかしこ・あなかしこ・御よりあひあるべからず、よるは用心きびしく夜廻の殿原かたらいて用ひ常には・よりあはるべし今度御内をだにも・いだされずば十に九は内のものねらひなむかまへて・きたなきしにすべからず。

  建治三年丁丑七月                  日蓮花押

   四条金吾殿御返事