Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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莚三枚御書 
1587

は日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上たまたま信ずる人あれば或は所領・或は田畠等に・わづらひをなし結句は命に及ぶ人人もあり信じがたき上・はは故上野は信じまいらせ候いぬ、又此の者敵子となりて人もすすめぬに心中より信じまいらせて・上下万人にあるいは・いさめ或はをどし候いつるに・ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ・後生には大無間地獄に堕つべきか、永くとどめよ・とどめよ、日蓮が言をいやしみて後悔あるべし・後悔あるべし。

  弘安五年二月廿八日

   下伯耆房

莚三枚御書

莚三枚・生和布一籠・給い了んぬ。

抑三月一日より四日にいたるまでの御あそびに心なぐさみて・やせやまいもなをり・虎とるばかりをぼへ候上・此の御わかめ給びて師子にのりぬべくをぼへ候。

さては財はところにより人によつてかわりて候、此の身延の山には石は多けれども餅なし、こけは多けれどもうちしく物候はず、木の皮をはいでしき物とす・むしろいかでか財とならざるべき。


億耳居士と申せし長者は足のうらに・けのをいて候いし者なり、ありきのところ・いへの内は申すにをよばず・わたを四寸しきて・ふみし人なり、これは・いかなる事ぞと申せば・先世に・たうとき僧に・くまのかわをしかせしゆへとみへて候。

いわうや日本国は月氏より十万よりをへだてて候辺国なる上・へびすの島・因果のことはりも弁えまじき上・末法になり候いぬ、仏法をば信ずるやうにてそしる国なり、しかるに法華経の御ゆへに名をたたせ給う上・御むしろを法華経にまいらせ給い候いぬれば。

芋一駄御書

いも一駄・はじかみ五十ぱ・をくりたびて候。

このみのぶのやまと申し候は・にしはしらねのたけ・つねにゆきをみる、ひんがしにはてんしのたけ・つねにひをみる、きたはみのぶのたけ・みなみはたかとりのたけ・四山のあひ・はこのそこのごとし、いぬゐのすみより・かはながれて・たつみのすみにむかう・かかるいみじきところみねには・せひのこへ・たにには・さるのさけび木は・あしのごとし・くさは・あめににたり、しかれども・かかるいもはみへ候はず、はじかみはをひず、いしににて少しまもりやわらかなり、くさににて・くさよりもあぢあり。

法華経に申しあげ候いぬれば御心ざしはさだめて釈迦仏しろしめしぬらん、恐恐謹言。

  八月十四日                     日蓮在御判

   御返事


閻浮提中御書

閻浮提中飢餓□□□□示現閻浮提中□□□□、又云く又示現閻浮提中□□□劫起等云云、人王三十代□□国の聖明王□□□□□国にわたす王此れを用いずして三代仏罰にあたる□□□、釈迦仏を申し隠すとが□□念仏者等・善光寺の阿弥陀仏云云、上一人より下万民にいたるまで皆人□□□□此れをあらわす、日蓮にあだをなす人は惣て日蓮を犯す、天は惣て此国を□□□□□□言く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん」等云云、又云く「多病痟痩」第八に云く「諸悪重病」又第二に云く「若し医道を修し方に順て病を治せば更に他の疾を増し或は復死を致す」又云く「若し自ら病有らんに人の救療すること無く設い良薬を服すとも而も復増劇せん」等云云、弘法大師は後に望んで戯論と作す、東寺の一門上御室より下一切の東寺の門家は法華経を戯論と云云、叡山の座主並びに三千の大衆□日本国・山寺一同の云く□□□□□大日経等云云、智証大師の云く法華尚及ばず等云云、園城の長吏並びに一国の末流等の云く法華経は真言経に及ばずと云云、此の三師を用ゆる国主終に法皇尽了んぬ、明雲座主の義仲に殺されし、承久に御室思い死にせし是なり。

願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ・師子は値いがたかるべし、国主の責め・なををそろし・いわうや閻魔のせめをや、日本国のせめは水のごとし・ぬるるを・をそるる事なかれ、閻魔のせめは火のごとし・裸にして入るとをもへ、大涅槃経の文の心は仏法を信じて今度生死をはなるる人のすこし心のゆるなるをすすめむがために疫病を仏のあたへ給うはげます心なり・すすむる心なり。