Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (21/43) 法王とは法華経の行者なり
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第二 此の品述成段の事

御義口伝に云く述とは迦葉なり成とは釈尊なり、述成の二字は迦葉・釈尊一致する義なり、所詮・述は所化の領解、成は仏の印加なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と領するは述なり日蓮が讃嘆するは成なり我等が即身成仏を説き極めたる品なり、述成一致符契するは述成不二の即身成仏なり此の述成は法界三千の皆成仏道の述成なり。

第三 雖一地所生一雨所潤等の事

御義口伝に云く随縁不変の起る所の文なり、妙楽大師云く「随縁不変の説は大教より出で木石無心の言は小宗より生ず」と、此の大教とは一経の惣体に非ず此の雖一地所生等の十七字を指すなり、一地所生一雨所潤は無差別譬・而諸草木各有差別は有差別譬なり無差別譬の故に妙なり有差別譬の故に法なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは有差を置くなり廿八品は有差別なり、妙法の五字は無差別なり、一地とは迹門の大地一雨とは本門の義天・一地とは従因至果・一雨とは従果向因、末法に至つて従果向因の一雨を弘通するなり一雨とは題目に余行を交えざるなり、序品の時は雨大法雨と説き此の品の時は一雨所潤と説けり一雨所潤は序品の雨大法雨を重ねて仏説き給うなり、一地とは五字の中の経の一字なり一雨とは五字の中の妙の一字なり法蓮華の三字は三千万法・中にも草木なり三乗・五乗・七方便・九法界なり云云。

第四 破有法王出現世間の事

御義口伝に云く有とは謗法の者なり破とは折伏なり法王とは法華経の行者なり世間とは日本国なり、又云く破は空・有は仮・法王は中道なり、されば此の文をば釈迦如来の種子と伝うるなり惣じて三世の諸仏の出世は此の文に依るなり、有とは三界廿五有なり破とは有執を破するなり法王とは十界の衆生の心法なり王とは心法を


云うなり諸法実相と開くを破有法王とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは謗法の有執を断じて釈迦法王と成ると云う事なり、破有の二字を以て釈迦如来の種子とは云うなり、又云く有と云うは我等が煩悩生死なり此の煩悩生死を捨てて別に菩提涅槃有りと云うは権教権門の心なり、今経の心は煩悩生死を其の儘置いて菩提涅槃と開く所を破と云うなり、有とは煩悩・破とは南無妙法蓮華経なり有は所破なり破は能破なり能破・所破共に実相の一理なり、序品の時は尽諸有結と説き此の品には破有法王と説き譬喩品の時は皆是我有と宣べたり云云。

第五 我観一切・普皆平等・無有彼此・愛憎之心・我無貪著・亦無限礙の事

御義口伝に云く此の六句の文は五識なり我観一切普皆平等とは九識なり無有彼此とは八識なり愛憎之心とは七識なり我無貪著とは六識なり亦無限礙とは五識なり我等衆生の観法の大体なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は豈我観一切普皆平等の九識の修行に非ずや爾らば無有彼此に非ずや愛憎之心に非ずや我無貪著に非ずや亦無限礙に非ずや。     

       授記品四箇の大事

第一 授記の事

文句の七に云く授とは是れ与の義なりと。

御義口伝に云く記とは南無妙法蓮華経なり授とは日本国の一切衆生なり不信の者には授けざるなり又之を受けざるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり、又云く授記とは法界の授記なり地獄の授記は悪因なれば悪業の授記を罪人に授くるなり余は之に准じて知る可きなり、生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世常恒の授記なり、所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相・迦旃延は老の


相・目連は病の相・須菩提は死の相なり、法華に来つて生老病死の四相を四大声聞と顕したり是れ即ち八相作仏なり、諸法実相の振舞なりと記を授くるなり妙法の授記なるが故に法界の授記なり、蓮華の授記なるが故に法界清浄なり経の授記なるが故に衆生の語言音声は三世常恒の授記なり、唯一言に授記すべき南無妙法蓮華経なり云云。

第二 迦葉光明の事

御義口伝に云く光明とは一切衆生の相好なり光とは地獄の灯燃猛火此れ即ち本覚自受用の智火なり乃至仏果之れ同じ、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の光明を謗法の闇冥の中に指し出だす此れ即ち迦葉の光明如来なり、迦葉は頭陀を本とす頭陀は爰に抖擻と云うなり、今末法に入つて余行を抖擻して、専ら南無妙法蓮華経と修するは此経難持行頭陀者是なり云云。

第三 捨是身已の事

御義口伝に云く此の文段より捨不捨の起りなり転捨にして永捨に非ず転捨は本門なり永捨は迹門なり此の身を捨るは煩悩即菩提生死即涅槃の旨に背くなり云云、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは捨是身已なり不惜身命の故なり云云、又云く此の身を捨すと読む時は法界に五大を捨すなり捨つる処の義に非ず、是の身を捨てて仏に成ると云うは権門の意なりかかる執情を捨つるを捨是身已と説くなり、此の文は一念三千の法門なり捨是身已とは還帰本理・一念三千の意なり、妙楽大師の当知身土・一念三千・故成道時・称此本理・一心一念・遍於法界と釈するは此の意なり云云。

第四 宿世因縁吾今当説の事

御義口伝に云く宿世の因縁とは三千塵点の昔の事なり下根の為に宿世の因縁を説かんと云う事なり、因縁とは