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日蓮大聖人・池田大作

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松野殿女房御返事 
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松野殿女房御返事

白米一斗・芋一駄・梨子一籠・名荷・はじかみ・枝大豆・ゑびね旁の物給び候ぬ、濁れる水には月住まず枯たる木には鳥なし、心なき女人の身には仏住み給はず、法華経を持つ女人は澄める水の如し釈迦仏の月宿らせ給う、譬へば女人の懐み始めたるには吾身には覚えねども、月漸く重なり日も屡過ぐれば初にはさかと疑ひ後には一定と思ふ、心ある女人はをのこごをんなをも知るなり法華経の法門も亦かくの如し、南無妙法蓮華経と心に信じぬれば心を宿として釈迦仏懐まれ給う、始はしらねども漸く月重なれば心の仏・夢に見え悦こばしき心漸く出来し候べし、法門多しといへども止め候、法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし、譬へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是・偏へに前生の功力の上・釈迦仏の護り給うか、たのもしし・たのもしし、委くは甲斐殿申すべし。

  九月一日                      日蓮花押

   松野殿女房御返事


松野尼御前御返事

日本国の人には・にくまれ候ぬ、みちふみわくる人も候はぬに・をもいよらせ給いての御心ざし、石の中の火のごとし火の中の蓮のごとし、ありがたしありがたし、恐恐。

  正月二十一日                    日蓮在御判

   松の尼御前御返事

浄蔵浄眼御消息

きごめの俵一・瓜籠一・根芋品品の物給い候畢んぬ、楽徳と名付けける長者に身を入れて我が身も妻も子も夜も昼も責め遣はれける者が、余りに責められ堪えがたさに隠れて他国に行きて其の国の大王に官仕へける程に・きりものに成りて関白と成りぬ、後に其の国を力として我が本の主の国を打ち取りぬ、其の時本の主・此の関白を見て大に怖れ前に悪く当りぬるを悔ひかへして官仕へ様様の財を引きける、前に負けぬる物の事は思ひもよらず今は只命のいきん事をはげむ、法華経も又斯の如く法華経は東方の薬師仏の主・南方・西方・北方・上下の一切の仏の主なり、釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは民の王を恐れ星の月を敬ふが如し、然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者・地獄・餓鬼・畜生等に押し籠められて気もつかず朝夕獄卒を付けて責むる程に、兎角して法華経に懸り付きぬれば釈迦仏等の十方の仏の御子とせさせ給へば、梵王・帝釈だにも恐れて寄り付かず何に


況や第六天の魔王をや、魔王は前には主なりしかども今は敬ひ畏れて、あしうせば法華経・十方の諸仏の御見参にあしうや入らんずらんと恐れ畏て供養をなすなり、何にしても六道の一切衆生をば法華経へ・つけじと・はげむなり、然るに何なる事にや・をはすらん皆人の憎み候日蓮を不便とおぼして、かく遙遙と山中へ種種の物送りたび候事一度二度ならず、ただごとにあらず偏へに釈迦仏の入り替らせ給へるか、又をくれさせ給ひける御君達の御仏にならせ給いて父母を導かんために御心に入り替らせ給へるか。

妙荘厳王と申せし王は悪王なりしかども御太子・浄蔵浄眼の導かせ給いしかば父母二人共に法華経を御信用有りて仏にならせ給いしぞかし、是もさにてや・候らんあやしく覚え候、甲斐公が語りしは常の人よりも・みめ形も勝れて候し上・心も直くて智慧賢く、何事に付けても・ゆゆしかりし人の疾はかなく成りし事の哀れさよと思ひ候しが、又倩思へば此の子なき故に母も道心者となり父も後世者に成りて候は只とも覚え候はぬに、又皆人の悪み候・法華経に付かせ給へば偏へに是なき人の二人の御身に添うて勧め進らせられ候にやと申せしが・さもやと覚え候、前前は只荒増の事かと思いて候へば是程御志の深く候ひける事は始めて知りて候、又若しやの事候はばくらき闇に月の出づるが如く妙法蓮華経の五字・月と露れさせ給うべし、其の月の中には釈迦仏・十方の諸仏・乃至前に立たせ給ひし御子息の露れさせ給ふべしと思し召せ、委くは又又申すべし、恐恐謹言。

  七月七日                      日蓮花押

刑部左衛門尉女房御返事

今月飛来の雁書に云く此の十月三日母にて候もの十三年に相当れり銭二十貫文等云云、夫外典三千余巻には忠孝