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日蓮大聖人・池田大作

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四条金吾許御文  (1/3) しゐぢの四郎がかたり申し候・御前の御法門の…
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四条金吾許御文

                    弘安三年十二月 五十九歳御作

                    与 四条金吾女房

白小袖一つ・緜十両・慥に給候い畢んぬ、歳もかたぶき候・又処は山の中・風はげしく庵室はかごの目の如し、うちしく物は草の葉・きたる物は・かみぎぬ身のひゆる事は石の如し、食物は冰の如くに候へば此の御小袖給候て頓て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者の雞足山にこもりて慈尊の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさしかるらん。

これは・さてをき候ぬ、しゐぢの四郎がかたり申し候・御前の御法門の事うけ給わり候こそ・よに・すずしく覚え候へ、此の御引出物に大事の法門一つかき付けてまいらせ候、八幡大菩薩をば世間の智者・愚者・大体は阿弥陀仏の化身と申し候ぞ、其れもゆへなきにあらず・中古の義に或は八幡の御託宣とて阿弥陀仏と申しける事少少候、此れはをのをの心の念仏者にて候故にあかき石を金と思いくひせをうさぎと見るが如し、其れ実には釈迦仏にておはしまし候ぞ、其の故は大隅の国に石体の銘と申す事あり、一つの石われて二つになる、一つの石には八幡と申す二字あり、一つの石の銘には「昔霊鷲山に於て妙法蓮華経を説き今正宮の中に在りて大菩薩と示現す」云云、是れ釈迦仏と申す第一の証文なり、此れよりも・ことに・まさしき事候、此の八幡大菩薩は日本国・人王第十四代・仲哀天皇は父なり、第十五代・神功皇后は母なり、第十六代・応神天皇は今の八幡大菩薩是なり、父の仲哀天皇は天照太神の仰せにて新羅国を責めんが為に渡り給いしが新羅の大王に調伏せられ給いて仲哀天皇は・はかたにて崩御ありしかば、きさきの神功皇后は此の太子を御懐妊ありながら・わたらせ給いしが、王の敵を・うたんとて数万騎のせいをあい具して新羅国へ渡り給いしに、浪の上・船の内にて王子御誕生の気いでき見え給う、其の時神


功皇后ははらの内の王子にかたり給ふ、汝は王子か女子か王子ならばたしかに聞き給へ、我は君の父・仲哀天皇の敵を打たんが為に新羅国へ渡るなり、我が身は女の身なれば汝を大将とたのむべし、君・日本国の主となり給うべきならば今度生れ給はずして軍の間・腹の内にて数万騎の大将となりて父の敵を打たせ給へ、是を用ひ給はずして只今生れ給うほどならば海へ入れ奉らんずるなり、我を恨みに思い給うなと有りければ、王子・本の如く胎内にをさまり給いけり、其の時石のをびを以て胎をひやし新羅国へ渡り給いて新羅国を打ちしたがへて還つて豊前の国うさの宮につき給い・ここにて王子・誕生あり、懐胎の後・三年六月三日と申す甲寅の年四月八日に生れさせ給う是を応神天皇と号し奉る、御年八十と申す壬申の年・二月十五日にかくれさせ給ふ、男山の主・我が朝の守護神・正体めづらしからずして霊験新たにおはします・今の八幡大菩薩是なり。

又釈迦如来は住劫・第九の減・人寿百歳の時・浄飯王を父とし摩耶夫人を母として中天竺・伽毘羅衛国らんびに薗と申す処にて甲寅の年四月八日に生れさせ給いぬ、八十年を経て東天竺・倶尸那城・跛提河の辺にて二月十五日壬申にかくれさせ給いぬ、今の八幡大菩薩も又是くの如し、月氏と日本と父母は・かわれども四月八日と甲寅と二月十五日と壬申とはかわる事なし、仏滅度の後・二千二百二十余年が間・月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に聖人・賢人と生るる人をば皆釈迦如来の化身とこそ申せども・かかる不思議は未だ見聞せず。

かかる不思議の候上・八幡大菩薩の御誓いは月氏にては法華経を説いて正直捨方便となのらせ給い、日本国にしては正直の頂に・やどらんと誓い給ふ、而るに去ぬる十一月十四日の子の時に御宝殿をやいて天にのぼらせ給いぬる故をかんがへ候に・此の神は正直の人の頂に・やどらんと誓へるに・正直の人の頂の候はねば居処なき故に栖なくして天にのぼり給いけるなり、日本国の第一の不思議には釈迦如来の国に生れて此の仏をすてて一切衆生・皆一同に阿弥陀仏につけり、有縁の釈迦をば・すて奉り無縁の阿弥陀仏を・あをぎたてまつりぬ、其の上親父


釈迦仏の入滅の日をば阿弥陀仏につけ又誕生の日をば薬師になしぬ、八幡大菩薩をば崇るやうなれども又本地を阿弥陀仏になしぬ、本地垂迹を捨つる上に此の事を申す人をば・かたきとする故に力及ばせ給はずして此の神は天にのぼり給いぬるか、但し月は影を水にうかぶる濁れる水には栖ことなし、木の上・草の葉なれども澄める露には移る事なれば・かならず国主ならずとも正直の人のかうべには・やどり給うなるべし。

然れば百王の頂に・やどらんと誓い給いしかども・人王八十一代・安徳天皇・二代隠岐の法皇・三代阿波・四代佐渡五代東一条等の五人の国王の頂には・すみ給はず、諂曲の人の頂なる故なり、頼朝と義時とは臣下なれども其の頂には・やどり給ふ正直なる故か、此れを以て思うに法華経の人人は正直の法につき給ふ故に釈迦仏・猶是をまほり給ふ、況や垂迹の八幡大菩薩争か是をまほり給はざるべき、浄き水なれども濁りぬれば月やどる事なし、糞水なれども・すめば影を惜み給はず、濁水は清けれども月やどらず・糞水は・きたなけれども・すめば影を・をしまず、濁水は智者・学匠の持戒なるが法華経に背くが如し、糞水は愚人の無戒なるが貪欲ふかく瞋恚・強盛なれども法華経計りを無二無三に信じまいらせて有るが如し、涅槃経と申す経には法華経の得道の者を列ねて候に蜣蜋蝮蠍と申して糞虫を挙げさせ給ふ、竜樹菩薩は法華経の不思議を書き給うに蜫虫と申して糞虫を仏になす等云云、又涅槃経に法華経にして仏になるまじき人をあげられて候には「一闡提の人の阿羅漢の如く、大菩薩の如き」等云云、此等は濁水は浄けれども月の影を移す事なしと見えて候、されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給うとも、法華経の行者を見ては争か其の影をばをしみ給うべき、我が一門は深く此の心を信ぜさせ給うべし、八幡大菩薩は此にわたらせ給うなり、疑い給う事なかれ・疑い給う事なかれ、恐恐謹言。

  十二月十六日                    日蓮花押

   四条金吾殿女房御返事