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日蓮大聖人・池田大作

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五人所破抄  (4/7) 本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に…
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つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」文、又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を原ぬれば則ち唐の東・羯の西・人を尋ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時・経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」云云。

加之大論の中に「法華は是れ秘密なれば諸の菩薩に付す」と宣ぶ、今の下文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ験けし余は未だ堪えず、輔正記に云く「付嘱を明せば此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る、法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」論釈一に非ず繁を恐れて之を略す

観音・薬王は既に迹化に居す南岳・天台誰人の後身ぞや、正像過ぎて二千年未だ上行の出現を聞かず末法も亦二百余廻なれば本門流布の時節なり何ぞ一部の総釈を以て猥に三時の弘経を難ぜんや、次に日本と云うは惣名なり亦本朝を扶桑国と云う富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す、爰に知んぬ先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す弘通此の地に在り、遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す、近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す、閻浮第一の富山なればなり五人争でか辺鄙と下さんや。

次に上行菩薩は本極法身・微妙深遠にして寂光に居すと雖も未了の者の為に事を以て理を顕し地より涌出したまいて以来付を本門に承け時を末法に待ち生を我朝に降し訓を仮字に示す、祖師の鑒機失無くんば遺弟の改転定めて恐れ有らんか、此等の所勘に依つて浅智の仰信を致すのみ、抑梵漢の両字と扶桑の一点とは時に依り機に随つて互に優劣無しと雖も倩上聖被下の善巧を思うに殆んど天竺震旦の方便に超えたり、何ぞ倭国の風俗を蔑如して必ずしも漢家の水露を崇重せん、但し西天の仏法東漸の時・既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し、遠沾の飜訳は諍論に及ばず雅意の改変は独り悲哀を懐く者な


り。

又五人一同に云く、先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔之を刻み、弘安帰寂の日も随身せり何ぞ輙く言うに及ばんや云云。

日興が云く、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依つて異を弁ず如来の本迹は測り難し眷属を以て之を知る、所以に小乗三蔵の教主は迦葉・阿難を脇士と為し伽耶始成の迹仏は普賢文殊左右に在り、此の外の一躰の形像豈頭陀の応身に非ずや、凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間・一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、今に当つては迹化の教主・既に益無し況や哆哆婆和の拙仏をや、次に随身所持の俗難は只是れ継子一旦の寵愛・月を待つ片時の螢光か、執する者尚強いて帰依を致さんと欲せば須らく四菩薩を加うべし敢て一仏を用ゆること勿れ云云。

又五人一同に云く、富士の立義の体為らく啻に法門の異類に擬するのみに匪ず剰え神無の別途を構う、既に以て道を失う誰人か之を信ぜんや。

日興が云く、我が朝は是れ神明和光の塵・仏陀利生の境なり、然りと雖も今末法に入つて二百余年・御帰依の法は爾前迹門なり誹謗の国を棄捨するの条は経論の明文にして先師の勘うる所なり、何ぞ善神・聖人の誓願に背き新に悪鬼乱入の社壇に詣でんや、但し本門流宣の代、垂迹還住の時は尤も上下を撰んで鎮守を定む可し云云。

又五人一同に云く、如法・一日の両経は共に以て法華の真文なり、書写・読誦に於ても相違有るべからず云云。

日興が云く、如法・一日の両経は法華の真文為りと雖も正像転時の往古・平等摂受の修行なり、今末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば一部読誦を専とせず但五字の題目を唱え三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責む可き者か、


此れ則ち勧持・不軽の明文・上行弘通の現証なり、何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや、但し四悉の廃立・二門の取捨宜く時機を守るべし敢て偏執すること勿れ云云。

又五人の立義既に二途に分れ戒門に於て持破を論ず云云。

日興が云く、夫れ波羅提木叉の用否・行住四威儀の所作・平嶮の時機に随い持破に凡聖有り、爾前迹門の尸羅を論ずれば一向に制禁す可し、法華本門の大戒に於ては何ぞ又依用せざらんや。

但し本門の戒躰・委細の経釈・面を以て決す可し云云。

身延の群徒猥に疑難して云く、富士の重科は専ら当所の離散に有り、縦い地頭非例を致すとも先師の遺跡を忍ぶ可し既に御墓に参詣せず争か向背の過罪を遁れんや云云。

日興が云く、此の段顛倒の至極なり言語に及ばずと雖も未聞の族に仰せて毒鼓の縁を結ばん、夫れ身延興隆の元由は聖人御座の尊貴に依り地頭発心の根源は日興教化の力用に非ずや、然るを今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見の僻案を起し師弟有無の新義を構え理非顕然の諍論を致す、誠に是れ葉を取つて其の根を乾かし流を酌んで未だ源を知らざる故か、何に況や慈覚・智証は即伝教入室の付弟・叡山住持の祖匠なり、若宮八幡は亦百王鎮護の大神・日域朝廷の本主なり、然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て先聖は慈覚を指して本師違背の仁と称す、若し御廟を守るを正と為さば円仁所破の段頗る高祖の誤謬なり、非例を致して過無くんば其の国・棄捨の誓い都べて垂迹の不覚か、料り知んぬ悪鬼外道の災を作し宗廟社稷の処を辞す善神聖人の居は即ち正直正法の頂なり、抑身延一沢の余流未だ法水の清濁を分たず強いて御廟の参否を論ぜば汝等将に砕身の舎利を信ぜんとす何ぞ法華の持者と号せんや、迷暗尤も甚し之に准じて知る可し伝え聞く天台大師に三千余の弟子有り章安朗然として独り之を達す、伝教大師は三千侶の衆徒を安く義真以後は其れ無きが如し、今日蓮聖人は万年救護の為に