Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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神国王御書  (10/10) 師子王を吼る狗犬は我が腹をやぶる
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其の身は白癩黒癩或は諸悪重病疑いなかるべきかもし其の義なくば又日蓮法華経の行者にあらじ此の身現身には白癩黒癩等の諸悪重病を受け取り後生には提婆瞿伽利等がごとく無間大城に堕つべし日月を射奉る修羅は其の矢還つて我が眼に立ち師子王を吼る狗犬は我が腹をやぶる釈子を殺せし波琉璃王は水中の大火に入り仏の御身より血を出だせし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり金銅の釈尊をやきし守屋は四天王の矢にあたり東大寺興福寺を焼きし清盛入道は現身に其身もうる病をうけにき彼等は皆大事なれども日蓮が事に合すれば小事なり小事すら猶しるしあり大事いかでか現罰なからむ。

悦ばしいかな経文に任せて五五百歳・広宣流布をまつ・悲いかな闘諍堅固の時に当つて此の国修羅道となるべし、清盛入道と頼朝とは源平の両家・本より狗犬と猿猴とのごとし、少人・少福の頼朝をあだせしゆへに宿敵たる入道の一門ほろびし上・科なき主上の西海に沈み給いし事は不便の事なり、此れは教主釈尊・多宝・十方の諸仏の御使として世間には一分の失なき者を・一国の諸人にあだまするのみならず・両度の流罪に当てて日中に鎌倉の小路をわたす事・朝敵のごとし、其の外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて・仏像・経巻を諸人にふまするのみならず・糞泥にふみ入れ・日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを・とりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ、此の事如何なる宿意もなし当座の科もなし、ただ法華経を弘通する計りの大科なり。

日蓮天に向つて声をあげて申さく・法華経の序品を拝見し奉れば梵釈と日月と四天と竜王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸神と集会し給いたりし時・已今当に第一の説を聞きし時・我とも雪山童子の如く身を供養し薬王菩薩の如く臂をも・やかんと・をもいしに、教主釈尊・多宝・十方の諸仏の御前にして今仏前に於て自ら誓言を説けと諫暁し給いしかば・幸に順風を得て世尊の勅の如く当に具さに奉行すべしと二処三会の衆・一同に大音声を


放ちて誓い給いしは・いかんが有るべき、唯仏前にては是くの如く申して多宝・十方の諸仏は本土にかへり給う、釈尊は御入滅ならせ給いて・ほど久くなりぬれば・末代辺国に法華経の行者有りとも梵釈・日月等・御誓いをうちわすれて守護し給う事なくば・日蓮がためには一旦のなげきなり、無始已来・鷹の前のきじ・蛇の前のかへる・貓の前のねずみ・犬の前のさると有りし時もありき、ゆめの代なれば仏・菩薩・諸天にすかされ・まいらせたりける者にてこそ候はめ。

なによりも・なげかしき事は梵と帝と日月と四天等の・南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値をすてさせ給いて・現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく・雨の空より下るごとく・其の人命終入阿鼻獄と無間大城に堕ち給はん事こそあはれにはをぼへ候へ、設い彼の人人は三世十方の諸仏をかたうどとして知らぬよしのべ申し給うとも・日蓮は其の人人には強きかたきなり、若し仏の返頗をはせずば梵釈・日月・四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし、日蓮が眼をそろしくば・いそぎいそぎ仏前の誓いをばはたし給へ、日蓮が口、○。

又むぎひとひつ・鵞目両貫・わかめ・かちめ・みな一俵給い畢んぬ、干い・やきごめ・各各一かうぶくろ給い畢んぬ、一一の御志はかきつくすべしと申せども法門巨多に候へば留め畢んぬ、他門にきかせ給うなよ大事の事どもかきて候なり。

上野殿御消息

                    建治元年 五十四歳御作

                    与 南条時光

三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き・三皇・五帝・孔子・老子・顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり、四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四に


は劣れるに逢うて慈悲あれとなり、一に父母に孝あれとは・たとひ親はものに覚えずとも・悪さまなる事を云うとも・聊かも腹も立てず誤る顔を見せず・親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり、二に主に合うて忠あるべしとは・いささかも主にうしろめたなき心あるべからず、たとひ我が身は失しなはるとも主にはかまへてよかれと思うべし、かくれての信あれば・あらはれての徳あるなりと云云、三には友にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず、四に劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば・我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし、此れを四徳と云うなり、是くの如く振舞うを賢人とも聖人とも云うべし、此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者なり、是くの如く四の得を振舞ふ人は外典三千巻をよまねども読みたる人となれり。

一に仏教の四恩とは一には父母の恩を報ぜよ・二には国主の恩を報ぜよ・三には一切衆生の恩を報ぜよ・四には三宝の恩を報ぜよ、一に父母の恩を報ぜよとは父母の赤白二渧・和合して我が身となる、母の胎内に宿る事・二百七十日・九月の間・三十七度死るほどの苦みあり、生落す時たへがたしと思ひ念ずる息・頂より出づる煙り梵天に至る、さて生落されて乳をのむ事一百八十余石・三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし、父の恩の高き事・須弥山猶ひきし・母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし、二に国主の恩を報ぜよとは・生れて已来・衣食のたぐひより初めて・皆是れ国主の恩を得てある者なれば現世安穏・後生善処と祈り奉るべし、三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は一切の男は父なり・女は母なり・然る間・生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり、四に三宝の恩を報ぜとは・最初成道の華厳経を尋ぬれば経も大乗・仏も報身如来にて坐ます間・二乗等は昼の梟・夜の鷹の如くして・かれを聞くといへ