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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (29/52) 此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護な…
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なり、今日本国の一切衆生は邪見にして厳王なり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は二人の如し終に畢竟住一乗して邪見即正なる可し云云。

        普賢品六箇の大事

第一 普賢菩薩の事

文句の十に云く勧発とは恋法の辞なりと。

御義口伝に云く勧発とは勧は化他発は自行なり、普とは諸法実相・迹門の不変真如の理なり、賢とは智慧の義なり本門の随縁真如の智なり、然る間経末に来つて本迹二門を恋法し給えり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は普賢菩薩の守護なり云云。

第二 若法華経行閻浮提の事

御義口伝に云く此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり云云。

第三 八万四千天女の事

御義口伝に云く八万四千の塵労門なり、是れ即ち煩悩即菩提生死即涅槃なり七宝の冠とは頭上の七穴なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第四 是人命終為千仏授手の事

御義口伝に云く法華不信の人は命終の時地獄に堕在す可し、経に云く「若人不信毀謗此経即断一切世間仏種其人命終入阿鼻獄」と、法華経の行者は命終して成仏す可し是人命終為千仏授手の文是なり、千仏とは千如の法門なり謗法の人は獄卒来迎し法華経の行者は千仏来迎し給うべし、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る


者は千仏の来迎疑無き者なり云云。

第五 閻浮提内広令流布の事

御義口伝に云く此の内の字は東西北の三方を嫌える文なり、広令流布とは法華経は南閻浮提計りに流布す可しと云う経文なり、此の内の字之を案ず可し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は深く之を思う可きなり云云。

第六 此人不久当詣道場の事

御義口伝に云く此人とは法華経の行者なり、法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり、此因無易故云直至の釈之を思う可し、此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり、法師品には於此経巻敬視如仏と云えり、八年の御説法の口開きは南無妙法蓮華経方便品の諸仏智慧終りは当起遠迎当如敬仏の八字なり、但此の八字を以て法華一部の要路とせりされば文句の十に云く「当起遠迎当如敬仏よりは其の信者の功徳を結することを述す」と、法華一部は信の一字を以て本とせり云云。

尋ねて云く今の法華経に於て序品には首めに如の字を置き終りの普賢品には去の字を置く羅什三蔵の心地何なる表事の法門ぞや、答て云く今の経の法体は実相と久遠との二義を以て正体と為すなり始の如の字は実相を表し終りの去の字は久遠を表するなり、其の故は実相は理なり久遠は事なり理は空の義なり空は如の義なり之に


依て如をば理空に相配するなり、釈に云く「如は不異に名く即ち空の義なり」と久遠は事なり其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意と為すなり、去は久遠に当るなり去は開の義如は合の義なり開は分別の心なり合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は合は仏界開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり、迹門は不二の分なり不変真如なる故なり、此の如是我聞の如をば不変真如の如と習うなり、空仮中の三諦には如は空是は中我聞は仮諦迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり、然る間而二の義を顕す時同聞衆を別に列ぬるなり、さて本門の終りの去は随縁真如にして而二の分なり仍つて去の字を置くなり、作礼而去の去は随縁真如と約束するなり、本門は而二の上の不二なり而二不二・常同常別・古今法爾の釈之を思う可し、此の去の字は彼の五千起去の去と習うなり、其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云う義なり、如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。

如の字は一切法是心の義去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間・法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり三諦三観の口決相承と意同じ云云。

一義に云く如は実なり去は相なり実は心王相は心数なり、又諸法は去なり実相は如なり今経一部の始終諸法実相の四字に習うとは是なり、釈に云く「今経は何を以て体と為るや諸法実相を以て体と為す」と、今一重立ち入つて日蓮が修行に配当せば如とは如説修行の如なり・其の故は結要五字の付属を宣べ給う時・宝塔品に事起り声徹下方し近令有在・遠令有在と云うて有在の二字を以て本化・迹化の付属を宣ぶるなり仍つて本門の密序と習うなり、さて二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に