Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

太田左衛門尉御返事  (3/4) 結句は身命よりも此の経を大事と思食す事・不…
1016

事に非ず過去の宿縁開発せるにこそ・かくは思食すらめ有り難し有り難し、次に寿量品と申すは本門の肝心なり、又此の品は一部の肝心・一代聖教の肝心のみならず三世の諸仏の説法の儀式の大要なり、教主釈尊・寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は三世の諸仏と内証等しきが故なり、但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず諸仏も亦然なり、我等衆生の無始已来・六道生死の浪に沈没せしが今教主釈尊の所説の法華経に値い奉る事は乃往過去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり、有り難き法門なり。

華厳・真言の元祖・法蔵・澄観・善無畏・金剛智・不空等が釈尊・一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗み取りて本より自の依経に説かざる華厳経・大日経に一念三千有りと云つて取り入るる程の盗人にばかされて末学深く此の見を執す墓無し墓無し、結句は真言の人師の云く「争つて醍醐を盗んで各自宗に名く」と云云、又云く「法華経の二乗作仏・久遠実成は無明の辺域・大日経に説く所の法門を明の分位」等云云、華厳の人師云く「法華経に説く所の一念三千の法門は枝葉・華厳経の法門は根本の一念三千なり」云云、是跡形も無き僻見なり、真言華厳経に一念三千を説きたらばこそ一念三千と云う名目をばつかはめおかし・おかし亀毛兎角の法門なり。

正しく久遠実成の一念三千の法門は前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘させ給いて有りしが本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり、此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり、正法像法に出でさせ給いし論師・人師の中に此の大事を知らず唯竜樹・天親こそ心の底に知らせ給いしかども色にも出ださせ給はず、天台大師は玄・文・止観に秘せんと思召ししかども末代の為にや止観・十章・第七正観の章に至りて粗書かせ給いたりしかども薄葉に釈を設けてさて止み給いぬ、但理観の一分を示して事の三千をば斟酌し給う。

彼の天台大師は迹化の衆なり、此の日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし、然に是くの如き大


事の義理の籠らせ給う御経を書きて進らせ候へば弥信を取らせ給うべし、勧発品に云く「当に起つて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」等云云、安楽行品に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す乃至天の諸の童子以て給使を為さん」等云云、譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云、法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや、厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎずたのもしきかな・たのもしきかな。

さては鎌倉に候いし時は細細申し承わり候いしかども今は遠国に居住候に依りて面謁を期する事更になし、されば心中に含みたる事も使者玉章にあらざれば申すに及ばず歎かし歎かし、当年の大厄をば日蓮に任せ給へ、釈迦・多宝・十方・分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり、又又申すべく候。

  弘安元年戊寅四月廿三日               日蓮花押

   太田左衛門尉殿御返事


大田殿女房御返事

                    弘安元年九月 五十七歳御作

                    与 大田入道女房 於身延

八木一石付十合、者大旱魃の代にかはける物に水をほどこしては大竜王と生れて雨をふらして人天をやしなう、うえたる代に食をほどこせる人は国王と生れて其の国ゆたかなり、過去の世に金色と申す大王ましましき其の国をば波羅奈国と申す、十二年が間・旱魃ゆきて人民うえ死ぬ事おびただし、宅中には死人充満し道路には骸骨充満せり、其の時大王・一切衆生をあはれみておおくの蔵をひらきて施をほどこし給いき、蔵の中の財つきて唯一日の御供のみのこりて候いし衆僧をあつめて供養をなし王と后と衆僧と万民と皆うえ死なんとせし程に天より飲食・雨のごとくふりて大国一時に富貴せりと金色王経にとかれて候、此れも又かくのごとし此の供養によりて現世には福人となり後生には霊山浄土へまいらせ給うべし、恐恐謹言。

  九月二十四日                    日蓮花押

   大田入道殿女房御返事