Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

常楽我浄御書 
1301

春の始の御悦び自他申し籠め候い畢んぬ、抑去年の来臨は曇華の如し、将又夢か幻か疑いまだ晴れず候処に。

常楽我浄御書

出でさせ給いて諸大乗経をかんがへ出し十方の浄土を立て一切の諸法は常楽我浄と云云、其の時・五天竺の十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の諸の小乗経の無量無辺の寺寺の衆僧・一同に蜂のごとく蜂起し・蟻のごとく聚集し・雷のごとくなりわたり、一時に聚集して頭をあわせて・なげいて云く仏在世にこそ五天の外道は我等が本師・教主釈尊とわ・あらそいしが・仏は一人なり・外道は多勢なりしかども・外道はありのごとし・仏は竜のごとく・師子王のごとくましませしかばこそせめかたせ給いぬ、此れはそれには・にるべくもなし、馬鳴は一人なれども・我等は多人なれども・代すへになれば・悪はつよく善はゆわし、仏の在世の外道と仏法とは水火なり。

帰伏正法御書

上一人下万民一同に帰伏する正法なり始めて勝劣を立てて慈覚智証弘法そむかんとをほせある○べかりしとをぼすか強敵を仏法の中にあらそい出来すべきたね国のみだるべきせんてうなりいかなる聖人の御ことばなりとも用ゆべからず各各日蓮をいやしみて○真言宗と法華経宗と叡山東寺薗城なら。


現世無間御書

或はくびをきり或はながさればととかれて此の法門を涅槃経守護経等の法華経の流通の御経にときをかせ給いて候は此の国をば梵王帝釈に仏をほせつけてよりせめさせ給うべしととかれて候されば此の国は法華経の大怨敵なれば現世に無間地獄の大苦すこし心みさせ給うか教主釈尊の日蓮がかたうどをしてつみしらせ給うにやよもさるならば天照太神正八幡等は此の国のかたうどにはなり給はじ日蓮房のかたきなりすずにてなをわかし候はんとぞはやり候らむいのらばいよいよあしかりなんあしかりなん、恐恐謹言。

  二月十三日                     日蓮在御判

   御返事

衣食御書

尼御前へ参る

鵞目一貫・給い畢んぬ、それじきはいろをまし・ちからをつけ・いのちをのぶ、ころもは・さむさをふせぎあつさをさえ・はぢをかくす、人にものをせする人は人のいろをまし・ちからをそえ・いのちをつぐなり。


釈迦如来御書

釈迦如来は正しく法華経に「悪世末法の時能く是の経を持つ者」等云云、善導云く千中無一等云云、いづれを信ずべしや、又云く日蓮がみる程の経論を善導・法然上人は御覧なかりけるかと申すか、若しこの難のごとくならば・昔の人の謬をば後の人のいかに・あらわすべからざるか。

破信堕悪御書

かたきはををく・かたきは・つよく、かたうどは・こわくして・しまけ候へば悪心ををこして・かへつて法華経の信心をも・やぶり悪道にをち候なり、あしきところをば・ついしさりてあるべし、釈迦仏は三十二相そなわつて身は金色・面は満月のごとし、しかれども或は悪人はすみとみる・或は悪人ははいとみる・或は悪人はかたきとみる。