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日蓮大聖人・池田大作

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金吾殿御返事 
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金吾殿御返事

                    文永七年十一月 四十九歳御作

                    与 大田金吾

 止観の五・正月一日よりよみ候いて現世安穏後生善処と祈請仕り候、便宜に給わり候本・末は失て候いしかどもこれにすりさせて候多く本入るべきに申し候。

大師講に鵝目五連給候い了んぬ、此の大師講・三四年に始めて候が今年は第一にて候いつるに候。

抑此の法門の事・勘文の有無に依つて弘まるべきか弘まらざるか・去年方方に申して候いしかども・いなせの返事候はず候、今年十一月の比方方へ申して候へば少少返事あるかたも候、をほかた人の心もやわらぎて・さもやとをぼしたりげに候、又上のけさんにも入りて候やらむ、これほどの僻事申して候へば流・死の二罪の内は一定と存ぜしが・いままでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼへ候、いたれる道理にて候やらむ、又自界叛逆難の経文も値べきにて候やらむ、山門なんども・いにしへにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給わり候、それならず子細ども候やらん震旦・高麗すでに禅門・念仏になりて守護の善神の去るかの間・彼の蒙古に聳い候いぬ、我が朝も又此の邪法弘まりて天台法華宗を忽諸のゆへに山門安穏ならず師檀違叛の国と成り候いぬれば十が八・九はいかんがと・みへ候、人身すでに・うけぬ邪師又まぬがれぬ、法華経のゆへに流罪に及びぬ、今死罪に行われぬこそ本意ならず候へ、あわれ・さる事の出来し候へかしと・こそはげみ候いて方方に強言をかきて挙げをき候なり、すでに年五十に及びぬ余命いくばくならず、いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華のかたになげて雪山童子・


薬王菩薩の跡をおひ仙予・有徳の名を後代に留めて法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり、南無妙法蓮華経。

  十一月二十八日                   日蓮花押

   御返事

転重軽受法門

                    文永八年十月 五十歳御作

                    与 大田左衛門・曾谷入道・金原法橋

修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかば・すりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり。

涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず・過去の誹謗正法のゆへかと・みへて其罪畢已と説れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり是一、又付法蔵の二十五人は仏をのぞきたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頸を刎られ其の外仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆへかとみへはんべる、正像猶かくのごとし中国又しかなり、これは辺土なり末法の始なり、かかる事あるべしとは先にをもひさだめぬ期をこそまち候いつれ是二、この上の法門はいにしえ申しをき候いきめづらしからず円教の六即の位に観行即と申すは所行如所言・所言如所行と


云云、理即名字の人は円人なれども言のみありて真なる事かたし、例せば外典の三墳五典には読む人かずをしらず、かれがごとくに世ををさめふれまう事千万が一つもかたしされば世のをさまる事も又かたし、法華経は紙付に音をあげて・よめども彼の経文のごとくふれまう事かたく候か、譬喩品に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん」法師品に云く「如来現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」勧持品に云く「刀杖を加え乃至数数擯出せられん」安楽行品に云く「一切世間怨多くして信じ難し」と、此等は経文には候へども何世にかかるべしとも・しられず、過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ身にあたりてよみまいらせて候いけると・みへはんべれ、現在には正像二千年はさてをきぬ、末法に入つては此の日本国には当時は日蓮一人みへ候か、昔の悪王の御時多くの聖僧の難に値い候いけるには又所従・眷属等・弟子檀那等いくぞばくか・なげき候いけんと今をもちて・をしはかり候、今日蓮・法華経一部よみて候一句一偈に猶受記をかほれり何に況や一部をやと、いよいよたのもし、但おほけなく国土までとこそ・をもひて候へども我と用いられぬ世なれば力及ばず、しげきゆへにとどめ候い了んぬ。

  文永八年辛未十月五日                日蓮花押

   大田左衛門尉殿

   蘇谷入道殿

   金原法橋御房

    御返事