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日蓮大聖人・池田大作

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滝泉寺申状  (4/5) 此等の子細御不審を相貽さば
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の一偈をも受けざれ」云云、妙楽大師云く「況や彼の華厳但以て称比せん此の経の法を以て之を化するに同じからず故に乃至不受余経一偈と云う」云云、彼の華厳経は寂滅道場の説・法界唯心の法門なり、上本は十三世界微塵品・中品は四十九万八千偈・下本は十万偈四十八品今現に一切経蔵を観るに唯八十・六十・四十等の経なり、其の外の方等・般若・大日経・金剛頂経等の諸の顕密大乗経等を尚・法華経に対当し奉りて仏自ら或は未顕真実と云い或は留難多きが故に或は門を閉じよ或は抛て等云云、何に況や阿弥陀経をや、唯大山と蟻岳との高下・師子王と狐兎との捔力なり。

今日秀等専ら彼等小経を抛ち専ら法華経を読誦し法界に勧進して南無妙法蓮華経と唱え奉る豈殊忠に非ずや、此等の子細御不審を相貽さば高僧等を召され是非を決せらる可きか、仏法の優劣を糺明致す事は月氏・漢土・日本の先例なり、今明時に当つて何ぞ三国の旧規に背かんや。

訴状に云く今月二十一日数多の人勢を催し弓箭を帯し院主分の御坊内に打ち入り下野坊は乗馬相具し熱原の百姓・紀次郎男・点札を立て作毛を苅り取り日秀の住房に取り入れ畢んぬ云云取意

此の条・跡形も無き虚誕なり日秀等は損亡せられし行者なり不安堵の上は誰の人か日秀等の点札を叙用せしむ可き将た又尫弱なる土民の族・日秀等に雇い越されんや、然らば弓箭を帯し悪行を企つるに於ては行智云く近隣の人人争つて弓箭を奪い取り其の身に召し取ると云うが如き子細を申さざるや、矯飾の至り宜しく賢察に足るべし。

日秀・日弁等は当寺代代の住侶として行法の薫修を積み天長地久の御祈祷を致すの処に行智は乍に当寺霊地の院主代に補し寺家・三河房頼円並に少輔房日禅・日秀・日弁等に行智より仰せて、法華経に於ては不信用の法なり速に法華経の読誦を停止し一向に阿弥陀経を読み念仏を申す可きの由の起請文を書けば安堵す可きの旨下知せし


むるの間、頼円は下知に随つて起請を書いて安堵せしむと雖も日禅等は起請を書かざるに依つて所職の住坊を奪い取るの時・日禅は即ち離散せしめ畢んぬ、日秀・日弁は無頼の身たるに依つて所縁を相憑み猶寺中に寄宿せしむるの間此の四箇年の程・日秀等の所職の住坊を奪い取り厳重の御祈祷を打ち止むるの余り悪行猶以て飽き足らず為に法華経行者の跡を削り謀案を構えて種種の不実を申し付くるの条・豈在世の調達に非ずや。

凡そ行智の所行は法華三昧の供僧・和泉房蓮海を以て法華経を柿紙に作り紺形を彫り堂舎の修治を為す、日弁に御書下を給い構え置く所の上葺榑一万二千寸の内八千寸を之を私用せしむ、下方の政所代に勧め去る四月御神事の最中に法華経信心の行人・四郎男を刄傷せしめ去る八月弥四郎坊男の頸を切らしむ、日秀等に頸を刎ぬる事を擬して此の中に書き入れ無智無才の盗人・兵部房静印より過料を取り器量の仁と称して当寺の供僧に補せしめ、或は寺内の百姓等を催し鶉狩・狸殺・狼落の鹿を取りて別当の坊に於て之を食らい或は毒物を仏前の池に入れ若干の魚類を殺し村里に出して之を売る、見聞の人・耳目を驚かさざるは莫し仏法破滅の基悲んで余り有り。

此くの如き不善の悪行・日日相積るの間日秀等愁歎の余り依つて上聞を驚かさんと欲す、行智条条の自科を塞がんが為に種種の秘計を廻らし近隣の輩を相語らい遮つて跡形も無き不実を申し付け日秀等を損亡せしめんと擬するの条言語道断の次第なり、冥に付け顕に付け戒めの御沙汰無からんや、所詮仏法の権実沙汰の真偽・淵底を究めて御尋ね有り且は誠諦の金言に任せ且は式条の明文に准し禁遏を加えられば守護の善神は変を消し擁護の諸天は咲を含まん、然れば則ち不善悪行の院主代・行智を改易せられ将た又本主此の重科を脱れ難からん何ぞ実相寺に例如せん、誤まらざるの道理に任せて日秀・日弁等は安堵の御成敗を蒙むり堂舎を修理せしめ天長地久御祈祷の忠勤を抽んでんと欲す、仍て状を勒し披陳言上件の如し。

  弘安二年十月  日               沙門 日秀日弁等上


百六箇抄   〈血脈抄〉

                    弘安三年 五十九歳

                    与 日興

具騰本種・正法の実義・本迹勝劣正伝、本因妙の教主・本門の大師・日蓮謹んで之を結要す。

万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云云、脱種合して一百六箇之れ在り、霊山浄土・多宝塔中・久遠実成・無上覚王・直授相承本迹勝劣の口決相伝譜、久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮詮要す。

理の一念三千・一心三観本迹

三世諸仏の出世成道の脱益寿量の義理の三千は釈迦諸仏の仏心と妙法蓮華経の理観の一心とに蘊在せる理なり。

大通今日・法華本迹

久遠名字本因妙を本として中間・今日・下種する故に久成を本と為し中間・今日の本迹を倶に迹と為る者なり。

応仏一代の本迹

久遠下種・霊山得脱・妙法値遇の衆生を利せん為に無作三身・寂光浄土従り三眼三智をもつて九界を知見し迹を垂れ権を施す後に説く妙経の故に今日の本迹共に迹と之を得る者なり。

迹門為理円の一致の本迹

松柏風波・万声一如・諸法実相の理上の観心は応仏の域を引かえたる故に本迹とは別れども唯理の上の法相なれば本迹理観の妙法と顕す、迹化は付属無きが故に之を弘めず。