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日蓮大聖人・池田大作

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法華経題目抄  (9/9) 女人は法華経を・はなれて仏になるべからず
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御使に出でさせ給ひ天台智者大師となのりて女人は法華経を・はなれて仏になるべからずと定めさせ給いぬ。

尸那国より三千里をへだてて東方に国あり日本国となづけたり、天台大師・御入滅・二百余年と申せしに此の国に生れて伝教大師となのらせ給いて秀句と申す書を造り給いしに「能化・所化倶に歴劫無し妙法経の力にて即身に成仏す」と竜女が成仏を定め置き給いたり、而るに当世の女人は即身成仏こそ・かたからめ往生極楽は法華を憑まば疑いなし、譬えば江河の大海に入るよりもたやすく雨の空より落つるよりもはやくあるべき事なり、而るに日本国の一切の女人は南無妙法蓮華経とは唱へずして女人の往生成仏をとげざる雙観・観経等によりて弥陀の名号を一日に六万遍・十万遍なんどとなうるは、仏の名号なれば巧なるには似たれども女人不成仏・不往生の経によれるが故にいたずらに他の財を数えたる女人なり、これひとえに悪知識にたぼらかされたるなり、されば日本国の一切の女人の御かたきは虎狼よりも山賊・海賊よりも父母の敵・とわり等よりも法華経をばをしえずして念仏ををしゆるこそ一切の女人のかたきなれ。

南無妙法蓮華経と一日に六万・十万・千万等も唱えて後に暇あらば時時阿弥陀等の諸仏の名号をも口ずさみ・なるやうに申し給はんこそ法華経を信ずる女人にては・あるべきに当世の女人は一期の間・弥陀の名号をば・しきりに・となへ念仏の仏事をば・ひまなくをこなひ法華経をばつやつや唱へず供養せず或はわづかに法華経を持経者に・よますれども念仏者をば父母・兄弟なんどのやうに・をもひなし持経者をば所従眷属よりもかろくをもへり、かくして・しかも法華経を信ずる由を・なのるなり、抑も浄徳夫人は二人の太子の出家を許して法華経をひろめさせ竜女は「我闡大乗教・度脱苦衆生」とこそ誓ひしが全く他経計りを行じて此の経を行ぜじとは誓はず、今の女人は偏に他経を行じて法華経を行ずる方をしらず、とくとく心をひるがへすべし・心をひるがへすべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

                            日蓮花押


   文永三年丙寅正月六日清澄寺に於て未の時書し畢んぬ。

富木殿御消息

                   文永六年六月 四十八歳御作

大師講の事今月明性房にて候が此月はさしあい候又余人の中せんと候人候はば申させ給えと候、貴辺より仰を蒙り候へ、御指合にて候はば他処へ申すべく候、恐々。

  六月七日                      日蓮花押

   土木殿

富木殿御返事

                    文永七年 四十九歳御作

白米一ほかひ本斗六升たしかに給候、ときれうも候はざりつるに悦び入り候、何事も見参にて申すべく候。

  乃時                        花押

   富木殿


真間釈迦仏御供養逐状

                    文永七年九月 四十九歳御作

釈迦仏御造立の御事、無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや、「欲令衆生開仏知見乃至然我実成仏已来」は是なり、但し仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ、法華経一部御仏の御六根によみ入れまいらせて生身の教主釈尊になしまいらせてかへりて迎い入れまいらせさせ給へ、自身並に子にあらずばいかんがと存じ候、御所領の堂の事等は大進の阿闍梨がききて候、かへすがへすをがみ結縁しまいらせ候べし、いつぞや大黒を供養して候しい其後より世間なげかずしておはするか、此度は大海のしほの満つるがごとく月の満ずるが如く福きたり命ながく後生は霊山とおぼしめせ。

  九月二十六日                    日蓮花押

   進上 富木殿御返事

土木殿御返事

                    文永八年九月 五十歳御作

                    於相模依智

上のせめさせ給うにこそ法華経を信じたる色もあらわれ候へ、月はかけてみち・しをはひてみつる事疑なし