Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (3/52) 本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ…
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生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり、無とは法界同時に妙法蓮華経の振舞より外は無きなり有とは地獄は地獄の有の儘十界本有の妙法の全体なり、生とは妙法の生なれば随縁なり死とは寿量の死なれば法界同時に真如なり若退の故に滅後なり若出の故に在世なり、されば無死退滅は空なり有生出在は仮なり如来如実は中道なり、無死退滅は無作の報身なり有生出在は無作の応身なり如来如実は無作の法身なり、此の三身は我が一身なり、一身即三身名為秘とは是なり、三身即一身名為密も此の意なり、然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。

第五 若仏久住於世薄徳之人不種善根貧窮下賤貪著五欲入於憶想妄見網中の事

御義口伝に云く此の経文は仏・世に久住したまわば薄徳の人は善根を殖ゆ可からず然る間妄見網中と説かれたり、所詮此の薄徳とは在世に漏れたる衆生今滅後日本国に生れたり、所謂念仏禅真言等の謗法なり、不種善根とは善根は題目なり不種とは未だ持たざる者なり、憶想とは捨閉閣抛第三の劣等此くの如きの憶想なり、妄とは権教妄語の経教なり見は邪見なり法華最第一の一を第三と見るが邪見なり、網中とは謗法不信の家なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者はかかる妄見の経網中の家を離れたる者なり云云。

第六 飲他毒薬薬発悶乱宛転于地の事

御義口伝に云く他とは念仏・禅・真言の謗法の比丘なり、毒薬とは権教方便なり法華の良薬に非ず故に悶乱するなり悶とはいきたゆるなり、寿量品の命なきが故に悶乱するなり宛転于地とは阿鼻地獄へ入るなり云云、諸子


飲毒の事は釈に云く「邪師の法を信受するを名けて飲毒と為す」と、諸子とは謗法なり飲毒とは弥陀・大日等の権法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは毒を飲まざるなり。

第七 或失本心或不失者の事

御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり本心とは下種なり不失とは法華経の行者なり失とは本有る物を失う事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり云云。

第八 擣簁和合与子令服の事

御義口伝に云く此の経文は空仮中の三諦戒定慧の三学なり、色香美味の良薬なり擣は空諦なり簁は仮諦なり和合は中道なり与は授与なり子は法華の行者なり服すると云うは受持の義なり、是を此大良薬色香美味皆悉具足と説かれたり、皆悉の二字万行万善・諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり、色香等とは一色一香・無非中道にして草木成仏なり、されば題目の五字に一法として具足せずと云う事なし若し服する者は速除苦悩なり、されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり、法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり、法華の行者は罵詈せらるれども忍辱を行ずるは瞋恚の病を除くなり、法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは愚癡の煩悩を治するなり、されば大良薬は末法の成仏の甘露なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。

第九 毒気深入失本心故の事

御義口伝に云く毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり、之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり服せしむると雖も吐き出だすは而謂不美とてむまからずと云う者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え


奉るは而謂不美の者に非ざるなり。

第十 是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事

御義口伝に云く是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。

第十一 自我得仏来の事

御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。

第十二 為度衆生故方便現涅槃の事

御義口伝に云く涅槃経は法華経より出でたりと云う経文なり、既に方便と説かれたり云云。

第十三 常住此説法の事

御義口伝に云く常住とは法華経の行者の住処なり、此とは娑婆世界なり山谷曠野を指して此とは説き給う、説法とは一切衆生の語言の音声が本有の自受用智の説法なり、末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり。

第十四 時我及衆僧倶出霊鷲山の事