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日蓮大聖人・池田大作

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松野殿御消息 
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へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず行くべからず、不審の事をば尚尚承はるべく候、穴賢穴賢。

  建治二年丙子十二月九日               日蓮花押

   松野殿御返事

松野殿御消息

昔乃往過去の古へ珊提嵐国と申す国あり彼の国に大王あり無諍念王と申しき、彼の王に千の王子あり又彼の王の第一の大臣を宝海梵志と申す・彼の梵志に子あり法蔵と申す、彼の無諍念王の千の太子は穢土を捨てて浄土を取り給ふ、其の故は此の娑婆世界は何なる所と申せば十方の国土に父母を殺し正法を誹謗し聖人を殺せる者彼の国国より此の娑婆世界へ追い入れられて候、例せば此の日本国の人大科有る者の獄に入れらるるが如し、我が力に叶はざれば哀愍せずして捨て給ふ、宝海梵志一人請け取りて娑婆世界の人の師と成り給ふ、宝海梵志の願に云く我未来世の穢悪土の中に当に作仏することを得べし、即ち十方浄土より擯出せる衆生を集めて我れ当に之れを度すべしと誓ひ給ひき、無諍念王と申すは阿弥陀仏なり、其の千の太子は今の観音勢至普賢文殊等なり、其の宝海梵志と申すは今の釈迦如来なり、此の娑婆世界の一切衆生は十方の諸仏に抜き捨てられしを釈迦一人計りして扶けさせ給うを唯我一人と申すなり。

                            日蓮花押

  松野殿


松野殿御返事

鵞目一貫文・油一升・衣一・筆十管給い候、今に始めぬ御志申し尽しがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。

先立より申し候、但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候、委細はいそぎ候間申さず候、恐恐謹言。

  建治三年丁丑九月九日                日蓮花押

   松野殿御返事

   追て申し候目連樹十両計り給はり候べく候

松野殿御返事

種種の物送り給い候畢ぬ山中のすまゐ思遣せ給うて雪の中ふみ分けて御訪い候事御志定めて法華経十羅刹も知し食し候らんさては涅槃経に云く「人命の停らざることは山水にも過ぎたり今日存すと雖も明日保ち難し」摩耶経に云く「譬えば旃陀羅の羊を駈て屠家に至るが如く人命も亦是くの如く歩歩死地に近く」法華経に云く「三界は安きこと無し猶火宅の如し衆苦充満して甚だ怖畏すべし」等云云、此れ等の経文は我等が慈父・大覚世尊・末代


の凡夫をいさめ給い、いとけなき子どもをさし驚かし給へる経文なり、然りと雖も須臾も驚く心なく刹那も道心を発さず、野辺に捨てられなば一夜の中にはだかになるべき身をかざらんがために、いとまを入れ衣を重ねんとはげむ、命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ、日本国数年の間打ち続きけかちゆきて衣食たへ・畜るひをば食いつくし・結句人をくらう者出来して或は死人或は小児或は病人等の肉を裂取て魚鹿等に加へて売りしかば人是を買いくへり此の国存の外に大悪鬼となれり、又去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す、十家に五家・百家に五十家皆やみ死し或は身はやまねども心は大苦に値へりやむ者よりも怖し、たまたま生残たれども或は影の如くそいし子もなく眼の如く面をならべし夫妻もなく・天地の如く憑し父母もをはせず生きても何にかせん・心あらん人人争か世を厭はざらん、三界無安とは仏説き給て候へども法に過ぎて見え候。

然るに予は凡夫にて候へどもかかるべき事を仏兼て説きをかせ給いて候を国王に申しきかせ進らせ候ぬ、其れにつけて御用は無くして弥怨をなせしかば力及ばず此の国既に謗法と成りぬ、法華経の敵に成り候へば三世十方の仏神の敵と成れり、御心にも推せさせ給い候へ日蓮何なる大科有りとも法華経の行者なるべし、南無阿弥陀仏と申さば何なる大科有りとも念仏者にて無しとは申しがたし、南無妙法蓮華経と我が口にも唱へ候故に罵られ打ちはられ流され命に及びしかども、勧め申せば法華経の行者ならずや、法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む、四の巻には仏を一中劫・罵るよりも末代の法華経の行者を悪む罪・深しと説かれたり、七の巻には行者を軽しめし人人・千劫阿鼻地獄に入ると説き給へり、五の巻には我が末世末法に入つて法華経の行者有るべし、其の時其の国に持戒・破戒等の無量無辺の僧等・集りて国主に讒言して流し失ふべしと説かれたり、然るにかかる経