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日蓮大聖人・池田大作

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刑部左衛門尉女房御返事  (1/4) 甲斐公が語りしは常の人よりも・みめ形も勝れ…
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況や第六天の魔王をや、魔王は前には主なりしかども今は敬ひ畏れて、あしうせば法華経・十方の諸仏の御見参にあしうや入らんずらんと恐れ畏て供養をなすなり、何にしても六道の一切衆生をば法華経へ・つけじと・はげむなり、然るに何なる事にや・をはすらん皆人の憎み候日蓮を不便とおぼして、かく遙遙と山中へ種種の物送りたび候事一度二度ならず、ただごとにあらず偏へに釈迦仏の入り替らせ給へるか、又をくれさせ給ひける御君達の御仏にならせ給いて父母を導かんために御心に入り替らせ給へるか。

妙荘厳王と申せし王は悪王なりしかども御太子・浄蔵浄眼の導かせ給いしかば父母二人共に法華経を御信用有りて仏にならせ給いしぞかし、是もさにてや・候らんあやしく覚え候、甲斐公が語りしは常の人よりも・みめ形も勝れて候し上・心も直くて智慧賢く、何事に付けても・ゆゆしかりし人の疾はかなく成りし事の哀れさよと思ひ候しが、又倩思へば此の子なき故に母も道心者となり父も後世者に成りて候は只とも覚え候はぬに、又皆人の悪み候・法華経に付かせ給へば偏へに是なき人の二人の御身に添うて勧め進らせられ候にやと申せしが・さもやと覚え候、前前は只荒増の事かと思いて候へば是程御志の深く候ひける事は始めて知りて候、又若しやの事候はばくらき闇に月の出づるが如く妙法蓮華経の五字・月と露れさせ給うべし、其の月の中には釈迦仏・十方の諸仏・乃至前に立たせ給ひし御子息の露れさせ給ふべしと思し召せ、委くは又又申すべし、恐恐謹言。

  七月七日                      日蓮花押

刑部左衛門尉女房御返事

今月飛来の雁書に云く此の十月三日母にて候もの十三年に相当れり銭二十貫文等云云、夫外典三千余巻には忠孝


の二字を骨とし内典五千余巻には孝養を眼とせり、不孝の者をば日月も光ををしみ地神も瞋をなすと見へて候、或経に云く六道の一切衆生仏前に参り集りたりしに仏彼れ等が身の上の事を一一に問い給いし中に・仏地神に汝大地より重きものありやと問い給いしかば地神敬んで申さく大地より重き物候と申す、仏の曰くいかに地神偏頗をば申すぞ此の三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり、所謂須弥山の高さは十六万八千由旬横は三百三十六万里なり・大海は縦横八万四千由旬なり、其の外の一切衆生・草木等は皆大地の上にそなわれり、此れを持てるが大地より重き物有らんやと問い給いしかば、地神答て云く仏は知食しながら人に知らせんとて問い給うか、我地神となること二十九劫なり其の間大地を頂戴して候に頸も腰も痛むことなし、虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候はず、但不孝の者のすみ候所が身にあまりて重く候なり、頸もいたく腰もおれぬべく膝もたゆく足もひかれず眼もくれ魂もぬけべく候、あわれ此の人の住所の大地をば・なげすてばやと思う心たびたび出来し候へば不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり、されば教主釈尊の御いとこ提婆達多と申せし人は閻浮提第一の上臈・王種姓なり、然れども不孝の人なれば我等彼の下の大地を持つことなくして大地破れて無間地獄に入り給いき、我れ等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申し上げ候しかば・仏はげにもげにもと合点せさせ給いき、又仏歎いて云く我が滅後の衆生の不孝ならん事・提婆にも過ぎ瞿伽利にも超えたるべし等云云取意、涅槃経に末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く孝養の者は爪上の土よりもすくなからんと云云。

今日蓮案じて云く此の経文は殊にさもやとをぼへ候、父母の御恩は今初めて事あらたに申すべきには候はねども・母の御恩の事殊に心肝に染みて貴くをぼへ候、飛鳥の子をやしなひ地を走る獣の子にせめられ候事・目もあてられず魂もきえぬべくをぼへ候、其につきても母の御恩忘れがたし、胎内に九月の間の苦み腹は鼓をはれるが如く頸は針をさげたるが如し、気は出づるより外に入る事なく色は枯れたる草の如し、臥ば腹もさけぬべし坐すれ


ば五体やすからず、かくの如くして産も既に近づきて腰はやぶれて・きれぬべく眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ、かかる敵をうみ落しなば大地にも・ふみつけ腹をもさきて捨つべきぞかし、さはなくして我が苦を忍びて急ぎいだきあげて血をねぶり不浄をすすぎて胸にかきつけ懐きかかへて三箇年が間慇懃に養ふ、母の乳をのむ事・一百八十斛三升五合なり、此乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし、されば乳一升のあたひを撿へて候へば米に当れば一万一千八百五十斛五升・稲には二万一千七百束に余り・布には三千三百七十段なり、何に況や一百八十斛三升五合のあたひをや、他人の物は銭の一文・米一合なりとも盗みぬればろうのすもりとなり候ぞかし、而るを親は十人の子をば養へども子は一人の母を養ふことなし、あたたかなる夫をば懐きて臥せどもこごへたる母の足をあたたむる女房はなし、給孤独園の金鳥は子の為に火に入り・憍尸迦夫人は夫の為に父を殺す、仏の云く父母は常に子を念へども子は父母を念はず等云云、影現王の云く父は子を念ふといえども子は父を念はず等是れなり、設ひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども後生のゆくへまで問う人はなし母の生てをはせしには心には思はねども一月に一度・一年に一度は問いしかども・死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問い訪ひ候へども、十三年・四千余日が間の程は・かきたえ問う人はなし、生てをはせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思はれしかども十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし如何にきかまほしくましますらん夫外典の孝経には唯今生の孝のみををしへて後生のゆくへをしらず身の病をいやして心の歎きをやめざるが如し内典五千余巻には人天二乗の道に入れていまだ仏道へ引導する事なし。

夫目連尊者の父をば吉占師子・母をば青提女と申せしなり、母死して後餓鬼道に堕ちたり、しかれども凡夫の間は知る事なし、証果の二乗となりて天眼を開きて見しかば母餓鬼道に堕ちたりき、あらあさましやといふ計りもなし、餓鬼道に行きて飯をまいらせしかば纔に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり・口はかなへの如く飯