Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

曾谷入道殿許御書  (13/14) 而るに風聞の如くんば貴辺並びに大田金吾殿・…
1038

滝の如く一身悦びを徧くす、「此の経典東北に縁有り」云云西天の月支国は未申の方・東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや、遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」云云、正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり、根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初・地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るが故に」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機・今正しく是れ其の時なり何を以て知る事を得ん安楽行品に云く末世法滅の時なり」云云・此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか、伝教大師の語は我が時に似て心は末法を楽いたもうなり、大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり、大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る全く第五闘諍堅固の時に非ず、而るに余処の釈に末法太有近の言は有り定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。

予倩事の情を案ずるに大師薬王菩薩として霊山会上に侍して仏・上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか、而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に地涌の大士に前立ちて粗五字を示す例せば西王母の先相には青鳥・客人の来るには鳱鵲の如し、此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし然れば則ち予所持の聖教・多多之有り、然りと雖も両度の御勘気・衆度の大難の時は或は一巻二巻散失し或は一字二字脱落し或は魚魯の謬悞或は一部二部損朽す、若し黙止して一期を過ぐるの後には弟子等定んで謬乱出来の基なり、爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す、而るに風聞の如くんば貴辺並びに大田金吾殿・越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云、両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ、涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住


せん」云云、天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。

仁王経に云く「千里の内をして七難起らざらしむ」云云、法華経に云く「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」云云、国主正法を弘通すれば必ず此の徳を備う臣民等此の法を守護せんに豈家内の大難を払わざらんや、又法華経の第八に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」又云く「当に今世に於て現の果報を得べし」云云、又云く「此の人は現世に白癩の病いを得ん」又云く「頭破れて七分と作らん」又第二巻に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云、第五の巻に云く「若し人悪み罵らば口則ち閉塞せん」云云、伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等云云、安明とは須弥山の名なり、無間とは阿鼻の別名なり、国主持者を誹謗せば位を失い臣民行者を毀呰すれば身を喪す一国を挙りて用いざれば定めて自反他逼出来せしむべきなり、又上品の行者は大の七難中品の行者は二十九難の内・下品の行者は無量の難の随一なり、又大の七難に於て七人有り第一は日月の難なり第一の内に又五の大難有り所謂日月度を失し時節反逆し或は赤日出で或は黒日出で二三四五の日出ず或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ぜん、又経に云く「二の月並び出でん」と、今此の国土に有らざるは二の日・二の月等の大難なり余の難は大体之有り、今此の亀鏡を以て日本国を浮べ見るに必ず法華経の大行者有るか、既に之を謗る者に大罰有り之を信ずる者何ぞ大福無からん。

今両人微力を励まし予が願に力を副え仏の金言を試みよ経文の如く之を行ぜんに徴無くんば釈尊正直の経文・多宝証明の誠言・十方分身の諸仏の舌相・有言無実と為らんか、提婆の大妄語に過ぎ瞿伽利の大誑言に超えたらん日月地に落ち大地反覆し天を仰いで声を発し地に臥して胸を押う殷の湯王の玉体を薪に積み戒日大王の竜顔を火に入れしも今此の時に当るか、若し此の書を見聞して宿習有らば其の心を発得すべし、使者に此の書を持たしめ


早早北国に差し遣し金吾殿の返報を取りて速速是非を聞かしめよ、此の願若し成ぜば崑崙山の玉鮮かに求めずして蔵に収まり大海の宝珠招かざるに掌に在らん、恐惶謹言。

  下春十日                      日蓮花押

   曾谷入道殿

   大田金吾殿

法蓮抄

                    建治元年 五十四歳御作

                    与 曾谷法蓮日礼

夫れ以れば法華経第四の法師品に云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀訾せん其の罪甚だ重し」等云云、妙楽大師云く「然も此の経の功高く理絶えたるに約して此の説を作すことを得る余経は然らず」等云云、此の経文の心は一劫とは人寿八万歳ありしより百年に一歳をすて千年に十歳をすつ此くの如く次第に減ずる程に人寿十歳になりぬ、此の十歳の時は当時の八十の翁のごとし、又人寿十歳より百年ありて十一歳となり又百年ありて十二歳となり乃至一千年あらば二十歳となるべし乃至八万歳となる、此の一減一増を一劫とは申すなり、又種種の劫ありといへども且く此の劫を以て申すべし、此の一劫が間・身口意の三業より事おこりて仏をにくみたてまつる者あるべし例せば提婆達多がごとし、仏は浄飯王の太子・提婆達多は斛飯王の子なり、兄弟の子息なる間仏の御いとこにて・をはせしかども今も昔も聖人も凡夫も人の中をたがへること女人よりして起りたる第一のあだにてはんべるなり、釈迦如来は悉達太子としてをはしし時提婆達多も同じ太子なり、耶輸大臣に女あり耶輸