Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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十八円満抄  (6/6) 予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・…
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問うて云く天真独朗の法・滅後に於て何れの時か流布せしむべきや、答えて云く像法に於て弘通すべきなり、問うて云く末法に於て流布の法の名目如何、答えて云く日蓮の己心相承の秘法此の答に顕すべきなり所謂南無妙法蓮華経是なり、問うて云く証文如何、答えて云く神力品に云く「爾の時・仏・上行等の菩薩に告げたまわく要を以て之を言わば乃至宣示顕説す」云云、天台大師云く「爾時仏告上行の下は第三結要付属なり」又云く「経中の要説・要は四事に在り総じて一経を結するに唯四ならくのみ其の枢柄を撮つて之を授与す」問うて云く今の文は上行菩薩等に授与するの文なり汝何んが故ぞ己心相承の秘法と云うや、答えて云く上行菩薩の弘通し給うべき秘法を日蓮先き立つて之を弘む身に当るの意に非ずや上行菩薩の代官の一分なり、所詮末法に入つて天真独朗の法門無益なり助行には用ゆべきなり正行には唯南無妙法蓮華経なり、伝教大師云く「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時・日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや、末法に入つて天真独朗の法を弘めて正行と為さん者は必ず無間大城に墜ちんこと疑無し、貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う真実・時国相応の智人なり総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし

上に挙ぐる所の法門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり、十八円満等の法門能く能く案じ給うべし並びに当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く委くは修禅寺相伝日記の如し天台宗の奥義之に過ぐべからざるか、一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず敢て忘失すること勿れ敢て忘失すること勿れ、伝教大師云く「和尚慈悲有つて一心三観を一言に伝う」玄旨伝に云く「一言の妙旨なり一教の玄義なり」と云云、寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入り速に仏身を成就することを得


せしめん」と云云、毎自作是念の念とは一念三千生仏本有の一念なり、秘す可し秘す可し、恐恐謹言。

  弘安三年十一月三日                 日蓮花押

    最蓮房に之を送る

六郎恒長御消息

                    文永元年九月 四十三歳御作

                    与 南部六郎恒長  於安房

所詮念仏を無間地獄と云う義に二つ有り、一には念仏者を無間地獄とは日本国・一切念仏衆の元祖法然上人の選択集に浄土三部を除いてより以外・一代聖教・所謂法華経・大日経・大般若経等・一切大小の経を書き上げて捨閉閣抛等云云、之に付いて上人亀鏡と挙られし処の浄土三部経の其の中に、雙観経・阿弥陀仏の因位・法蔵比丘の四十八願に云く唯五逆と誹謗正法とを除くと云云、法然上人も乃至十念の中には入れ給ふといえども、法華経の門を閉じよと書かれ候へば・阿弥陀仏の本願に漏れたる人に非ずや、其の弟子其の檀那等も亦以て此くの如し、法華経の文には若し人信ぜずして、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らんと云云、阿弥陀仏の本願と法華経の文と真実ならば法然上人は無間地獄に堕ちたる人に非ずや、一切の経の性相に定めて云く師堕つれば弟子堕つ弟子堕つれば檀那堕つと云云、譬えば謀叛の者の郎従等の如し、御不審有らば選択を披見あるべし是一

二には念仏を無間地獄とは法華経の序分・無量義経に云く「方便の力を以て四十年には未だ真実を顕さず」云云、次下の文に云く「無量無辺を過ぐるとも乃至終に無上菩提を成ずることを得じ」云云、仏初成道の時より白鷺池の辺に至るまで年紀をあげ四十余年と指して其の中の一切経を挙ぐる中に大部の経四部・其の四部の中に次に方等十二部経を説くと云云、是れ念仏者の御信用候三部経なり、此れを挙げて真実に非ずと云云、次に法華経


に云く「世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべし」とは念仏等の不真実に対し南無妙法蓮華経を真実と申す文なり、次下に云く「仏は自ら大乗に住したまへり乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕す此の事は為て不可なり」云云、此の文の意は法華経を仏胸に秘しをさめて観経念仏等の四十余年の経計りを人人に授けて法華経を説かずして黙止するならば我は慳貪の者なり三悪道に堕すべしと云う文なり、仏すら尚唯念仏を行じて一生をすごし法華経に移らざる時は地獄に堕すべしと云云、況や末代の凡夫一向に南無阿弥陀仏と申して一生をすごし法華経に移つて南無妙法蓮華経と唱えざる者三悪道を免るべきや、第二の巻に云く今此三界等と云云、此の文は日本国六十六箇国嶋二つの大地は教主釈尊の本領なり娑婆以て此くの如く全く阿弥陀の領に非ず、其中衆生悉是吾子と云云、日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女各父母有りといへども其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり、三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息なり全く阿弥陀仏の子に非ざるなり。

  文永元年甲子九月 日                日蓮花押

   南部六郎恒長殿

波木井三郎殿御返事

                    文永十年八月 五十二歳御作

                    与 南部六郎三郎

鎌倉に筑後房・弁阿闍梨・大進阿闍梨と申す小僧等之有り之を召して御尊び有る可し御談義有る可し大事の法門等粗ぼ申す、彼等は日本に未だ流布せざる大法少少之を有す随つて御学問注るし申す可きなり。鳥跡飛び来れり不審の晴ること疾風の重雲を巻いて明月に向うが如し、但し此の法門当世の人上下を論ぜず信