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日蓮大聖人・池田大作

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一谷入道御書  (2/5) 国土に阿弥陀堂を造り・或は一郡・一郷・一村…
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不思議あり・人是を知らず、譬えば虫の火に入り鳥の蛇の口に入るが如し真言師・華厳宗・法相・三論・禅宗・浄土宗・律宗等の人人は我も法を得たり我も生死を離れたる人とは思へども・立始めし本師等・依経の心をも弁えず、但我が心の思い付いて有りしままに其の経を取り立てんと思へる墓無き心計りにて・法華経に背けば又仏意にも叶わざる事をば知らずして弘め行く程に・国主・万民是を信じぬ又他国へ渡り又年久しく成りぬ、末学の者共・本師の誤をば知らずして弘め習ひし人人をも智者とは思へり、源濁りぬれば流浄からず身曲りぬれば影直からず、真言の元祖・善無畏等は既に地獄に堕ちぬべかりしが・或は改悔して地獄を免れたる者もあり、或は唯依経を弘めて法華経の讃歎をも・せざれば・生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり、而るを末末の者・此の事を知らずして諸人一同に信をなしぬ、譬えば破たる船に乗つて大海に浮び酒に酔る者の火の中に臥せるが如し。

日蓮是を見し故に忽に菩提心を発して此の事を申し始めしなり、世間の人人何に申すとも信ずる事はあるべからず、還つて流罪・死罪せらるべしとは兼て知つてありしかども・今の日本国は法華経に背き釈迦仏を捨つる故に後生は必ず無間大城に堕ちん事はさてをきぬ・今生にも必ず大難に値うべし、所謂他国より責め来つて上一人より下万民に至るまで一同の歎きあるべし、譬えば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに此の罪を千に分ては受くべからず、一一に皆無間大城に堕ちて同じく一劫を経べし、此の国も又又是くの如し、娑婆世界は五百塵点劫より已来・教主釈尊の御所領なり、大地・虚空・山海・草木・一分も他仏の有ならず、又一切衆生は釈尊の御子なり、譬えば成劫の始め一人の梵王下つて六道の衆生をば生て候ぞかし、梵王の一切衆生の親たるが如く・釈迦仏も又一切衆生の親なり、又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にて・おはするぞかし、父母を知るも師の恩なり黒白を弁うも釈尊の恩なり、而るを天魔の身に入つて候・善導・法然なんどが申すに付いて・国土に阿弥陀堂を造り・或は一郡・一郷・一村等に阿弥陀堂を造り・或は百姓万民の宅ごとに阿弥陀堂を造り・或は宅宅・人人ごと


に阿弥陀仏を書造り・或は人ごとに口口に或は高声に唱へ・或は一万遍・或は六万遍なんど唱うるに・少しも智慧ある者は・いよいよ・これをすすむ、譬へば火に・かれたる草をくわへ・水に風を合せたるに似たり、此の国の人人は一人もなく教主釈尊の御弟子・御民ぞかし、而るに阿弥陀等の他仏を一仏もつくらず・かかず・念仏も申さず・ある者は悪人なれども釈迦仏を捨て奉る色は未だ顕れず、一向に阿弥陀仏を念ずる人人は既に釈迦仏を捨て奉る色顕然なり、彼の人人の墓無き念仏を申す者は悪人にてあるぞかし、父母にもあらず主君・師匠にてもおはせぬ仏をば・いとをしき妻の様にもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨て・乳母の如くなる法華経をば口にも誦し奉らず是れ豈不孝の者にあらずや、此の不孝の人人・一人・二人・百人・千人ならず一国・二国ならず上一人より下万民に至るまで日本国皆こぞりて一人もなく三逆罪の者なり、されば日月は色を変じて此れをにらめ・大地も瞋りてをどりあがり・大彗星天にはびこり・大火・国に充満すれども僻事ありとも・おもはず、我等は念仏にひまなし其の上念仏堂を造り阿弥陀仏を持ち奉るなんど自讃するなり、是は賢き様にて墓無し、譬えば若き夫妻等が夫は女を愛し女は夫をいとおしむ程に・父母のゆくへをしらず、父母は衣薄けれども我はねや熱し、父母は食せざれども我は腹に飽きぬ、是は第一の不孝なれども彼等は失ともしらず、況や母に背く妻・父にさかへる夫・逆重罪にあらずや、阿弥陀仏は十万億のあなたに有つて此の娑婆世界には一分も縁なし、なにと云うとも故もなきなり、馬に牛を合せ犬に猨をかたらひたるが如し。

但日蓮一人計り此の事を知りぬ、命を惜みて云はずば国恩を報ぜぬ上・教主釈尊の御敵となるべし、是を恐れずして有のままに申すならば死罪となるべし、設ひ死罪は免るとも流罪は疑なかるべしとは兼て知つて・ありしかども・仏の恩重きが故に人を・はばからず申しぬ、案にたがはず両度まで流されて候いし中に・文永九年の夏の比・佐渡の国・石田の郷一谷と云いし処に有りしに・預りたる名主等は公と云ひ私と云ひ・父母の敵よりも宿世


の敵よりも悪げにありしに・宿の入道と云ひ・妻と云ひ・つかう者と云ひ・始はおぢをそれしかども先世の事にやありけん、内内・不便と思ふ心付きぬ、預りより・あづかる食は少し付ける弟子は多くありしに・僅の飯の二口三口ありしを或はおしきに分け或は手に入て食しに・宅主・内内・心あつて外には・をそるる様なれども・内には不便げにありし事・何の世にかわすれん、我を生みておはせし父母よりも当時は大事とこそ思いしか、何なる恩をも・はげむべし・まして約束せし事たがうべしや。

然れども入道の心は後世を深く思いてある者なれば久しく念仏を申しつもりぬ、其の上阿弥陀堂を造り田畠も其の仏の物なり、地頭も又をそろしなんど思いて直ちに法華経にはならず、是は彼の身には第一の道理ぞかし、然れども又無間大城は疑無し、設ひ是より法華経を遣したりとも世間も・をそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火に水を合せたるが如し、謗法の大水・法華経を信ずる小火を・けさん事疑なかるべし、入道・地獄に堕つるならば還つて日蓮が失になるべし、如何んがせん如何んがせんと思いわづらひて今まで法華経を渡し奉らず、渡し進せんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば・鎌倉の焼亡に取り失ひ参せて候由申す、旁入道の法華経の縁はなかりけり、約束申しける我が心も不思議なり、又我とは・すすまざりしを鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に口入有りし事なげかし、本銭に利分を添えて返さんとすれば・又弟子が云く御約束違ひなんど申す、旁進退極りて候へども人の思わん様は狂惑の様なるべし、力及ばずして法華経を一部十巻・渡し奉る、入道よりもうばにて・ありし者は内内心よせなりしかば是を持ち給へ。

日蓮が申す事は愚なる者の申す事なれば用ひず、されども去る文永十一年太歳甲戌十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに対馬の者かためて有りしに・宗総馬尉逃ければ百姓等は男をば或は殺し或は生取にし・女をば或は取り集めて手をとをして船に結い付け・或は生け取にす・一人も助かる者なし、壹岐によせても又是くの如し、船おしよ