Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

上野殿御消息  (3/3) 相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふな…
1528

ども・耳しゐ・目しゐの如し、然る間・四恩を報ずべきかと思ふに女人をきらはれたる間・母の恩報じがたし、次に仏・阿含・小乗経を説き給いし事・十二年・是こそ小乗なれば我等が機にしたがふべきかと思へば・男は五戒・女は十戒・法師は二百五十戒・尼は五百戒を持ちて三千の威儀を具すべしと説きたれば・末代の我等かなふべしとも・おぼえねば母の恩報じがたし、況や此の経にもきらはれたり、方等・般若・四十余年の経経に皆女人をきらはれたり、但天女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといへども・但名のみ有つて実なきなり、其の上未顕真実の経なれば如何が有りけん、四十余年の経経に皆女人を嫌われたり、又最後に説き給いたる涅槃経にも女人を嫌はれたり、何れか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば法華経こそ女人成仏する経なれば、八歳の竜女・成仏し・仏の姨母憍曇弥・耶輸陀羅比丘尼記莂にあづかりぬ、されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ・畜生にもあらず蛇身にもあらず・八歳の竜女だにも仏になる、如何ぞ此の経の力にて我が母の仏にならざるべき、されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり。

然る間・釈迦・多宝等の十方・無量の仏・上行地涌等の菩薩も・普賢・文殊等の迹化の大士も・舎利弗等の諸大声聞も・大梵天王・日月等の明主諸天も・八部王も・十羅刹女等も・日本国中の大小の諸神も・総じて此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし、恐恐謹言。

                            日蓮花押

   上野殿


南条殿御返事

                    建治二年正月 五十五歳御作

                    与 南条七郎次郎

はるのはじめの御つかひ自他申しこめまいらせ候、さては給はるところのすずの物の事、もちゐ・七十まい・さけひとつつ・いもいちだ・河のりひとかみぶくろ・だいこんふたつ・やまのいも七ほん等なり、ねんごろの御心ざしは・しなじなのものに・あらはれ候いぬ。

法華経の第八の巻に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」又云く「当に現世に於て現の果報を得べし」等云云、天台大師云く「天子の一言虚しからず」又云く「法王虚しからず」等云云、賢王となりぬれば・たとひ身をほろぼせどもそら事せず、いわうや釈迦如来は普明王とおはせし時ははんぞく王のたてへ入らせ給いき・不妄語戒を持たせ給いしゆへなり、かり王とおはせし時は実語少人大妄語入地獄とこそ・おほせありしか、いわうや法華経と申すは仏・我と要当説真実となのらせ給いし上・多宝仏・十方の諸仏あつまらせ給いて日月・衆星のならばせ給うがごとくに候いしざせきなり、法華経にそら事あるならば・なに事をか人信ずべき、かかる御経に一華・一香をも供養する人は過去に十万億の仏を供養する人なり、又釈迦如来の末法に世のみだれたらん時・王臣・万民・心を一にして一人の法華経の行者をあだまん時・此の行者かんぱちの小水に魚のすみ・万人にかこまれたる鹿のごとくならん時、一人ありて・とぶらはん人は生身の教主釈尊を一劫が間・三業相応して供養しまいらせたらんよりなを功徳すぐるべきよし・如来の金言・分明なり、日は赫赫たり月は明明たり・法華経の文字はかくかく・めいめいたり・めいめい・かくかくたり、あきらかなる鏡にかををうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし。

しかるに亦於現世得其福報の勅宣・当於現世得現果報の鳳詔・南条の七郎次郎殿にかぎりて・むなしかるべしや、


日は西よりいづる世・月は地よりなる時なりとも・仏の言むなしからじとこそ定めさせ給いしか、これをもつて・おもうに慈父過去の聖霊は教主釈尊の御前にわたらせ給い・だんなは又現世に大果報をまねかん事疑あるべからず、かうじんかうじん。

  建治二年正月十九日                 日蓮花押

   南条殿御返事

南条殿御返事

                    建治二年三月 五十五歳御作

いものかしら・河のり・又わさび・一一・人人の御志承り候いぬ、鳥のかいこをやしなひ・牛の子を牛のねぶるが如し、夫れ衣は身をつつみ・食は命をつぐ、されば法華経を山中にして読みまいらせ候人を・ねんごろに・やしなはせ給ふは、釈迦仏をやしなひまいらせ・法華経の命をつぐにあらずや、妙荘厳王は三聖を山中にやしなひて・沙羅樹王仏となり、檀王は阿私仙人を供養して釈迦仏とならせ給ふ、されば必ずよみかかねども・よみかく人を供養すれば仏になる事疑ひなかりけり、経に云く「是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

   建治二年三月十八日                日蓮花押

    謹上 南条殿御返事

   橘三郎殿・太郎大夫殿・一紙に云云恐れ入り候、返す返すははき殿読み聞かせまいらせ給へ。