Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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寺泊御書  (4/4) 囹僧等のみ心に懸り候
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品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し、其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し、一部八巻・二十八品・天竺の御経は一由旬に布くと承わる定めて数品有る可し、今漢土日本の二十八品は略の中の要なり、正宗は之を置く流通に至つて宝塔品の三箇の勅宣は霊山虚空の大衆に被らしむ、勧持品の二万・八万・八十万億等の大菩薩の御誓言は日蓮が浅智には及ばず但し「恐怖悪世中」の経文は末法の始を指すなり、此の「恐怖悪世中」の次下の安楽行品等に云く「於末世」等云云、同本異訳の正法華経に云く「然後末世」又云く「然後来末世」、添品法華経に云く「恐怖悪世中」等云云、時に当り当世三類の敵人は之れ有るに但八十万億・那由他の諸菩薩は一人も見えたまわず乾たる湖の満たず月の虧けて満ちざるが如し水清めば月を浮かべ木を植うれば鳥棲む、日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官として之を申す彼の諸の菩薩の加被を請う者なり。

此の入道佐渡の国へ御共為す可きの由之を申す然る可き用途と云いかたがた煩有るの故に之を還す、御志し始めて申すに及ばず候人人に是くの如く申させ給え、但し囹僧等のみ心に懸り候便宜の時早早之を聴かす可し、穴賢穴賢。

  十月二十二日 酉の時                日蓮花押

   土木殿


富木入道殿御返事

                    文永八年十一月 五十歳御作

                    於佐渡塚原

此比は十一月の下旬なれば相州鎌倉に候し時の思には四節の転変は万国皆同じかるべしと存候し処に此北国佐渡の国に下著候て後二月は寒風頻に吹て霜雪更に降ざる時はあれども日の光をば見ることなし、八寒を現身に感ず、人の心は禽獣に同じく主師親を知らず何に況や仏法の邪正・師の善悪は思もよらざるをや、此等は且く之を置く。

去十月十日に付られ候し入道・寺泊より還し候し時法門を書き遣わし候き推量候らむ、已に眼前なり仏滅後二千二百余年に月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に天親・竜樹内鑑冷然外適時宜云云、天台・伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや。

前相已に顕れぬ去正嘉の大地震前代未聞の大瑞なり神世十二・人王九十代と仏滅後二千二百余年未曾有の大瑞なり神力品に云く「仏滅度の後に於て能く是の経を持つが故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現ず」等云云、「如来一切所有之法」云云、但此の大法弘まり給ならば爾前迹門の経教は一分も益なかるべし、伝教大師云く「日出て星隠る」云云、遵式の記に云く「末法の初西を照す」等云云、法已に顕れぬ、前相先代に超過せり日蓮粗之を勘うるに是時の然らしむる故なり経に云く「四導師有り一を上行と名く」云云又云く「悪世末法時能持是経者」又云く「若接須弥擲置他方」云云。

又貴辺に申付し一切経の要文智論の要文五帖一処に取り集め被る可く候、其外論釈の要文散在あるべからず候、又小僧達談義あるべしと仰らるべく候流罪の事痛く歎せ給ふべからず、勧持品に云く不軽品に云く、命限り有り


惜む可からず遂に願う可きは仏国也云云。

  文永八年十一月二十三日               日蓮花押

   富木入道殿御返事

小僧達少少還えし候此国の体為在所の有様御問い有る可く候筆端に載せ難く候。

佐渡御書

                    文永九年三月 五十一歳御作

                    与 弟子檀那

此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ、外典抄文句の二玄の四の本末勘文宣旨等これへの人人もちてわたらせ給へ。

世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし牛馬猶身を惜む況や人身をや癩人猶命を惜む何に況や壮人をや、仏説て云く「七宝を以て三千大千世界に布き満るとも手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」、雪山童子の身をなげし楽法梵志が身の皮をはぎし身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる身命を捨る人・他の宝を仏法に惜べしや、又財宝を仏法におしまん物まさる身命を捨べきや、世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし又主君の為に命を捨る人はすくなきやうなれども其数多し男子ははぢに命をすて女人は男の為に命をすつ、魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事