Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

太田左衛門尉御返事  (4/4) 厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎずた…
1017

事の義理の籠らせ給う御経を書きて進らせ候へば弥信を取らせ給うべし、勧発品に云く「当に起つて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」等云云、安楽行品に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す乃至天の諸の童子以て給使を為さん」等云云、譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云、法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや、厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎずたのもしきかな・たのもしきかな

さては鎌倉に候いし時は細細申し承わり候いしかども今は遠国に居住候に依りて面謁を期する事更になし、されば心中に含みたる事も使者玉章にあらざれば申すに及ばず歎かし歎かし、当年の大厄をば日蓮に任せ給へ、釈迦・多宝・十方・分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり、又又申すべく候。

  弘安元年戊寅四月廿三日               日蓮花押

   太田左衛門尉殿御返事


大田殿女房御返事

                    弘安元年九月 五十七歳御作

                    与 大田入道女房 於身延

八木一石付十合、者大旱魃の代にかはける物に水をほどこしては大竜王と生れて雨をふらして人天をやしなう、うえたる代に食をほどこせる人は国王と生れて其の国ゆたかなり、過去の世に金色と申す大王ましましき其の国をば波羅奈国と申す、十二年が間・旱魃ゆきて人民うえ死ぬ事おびただし、宅中には死人充満し道路には骸骨充満せり、其の時大王・一切衆生をあはれみておおくの蔵をひらきて施をほどこし給いき、蔵の中の財つきて唯一日の御供のみのこりて候いし衆僧をあつめて供養をなし王と后と衆僧と万民と皆うえ死なんとせし程に天より飲食・雨のごとくふりて大国一時に富貴せりと金色王経にとかれて候、此れも又かくのごとし此の供養によりて現世には福人となり後生には霊山浄土へまいらせ給うべし、恐恐謹言。

  九月二十四日                    日蓮花押

   大田入道殿女房御返事


慈覚大師事

                    弘安三年正月 五十九歳御作

                    与 大田入道  於身延

鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給い候い了んぬ、法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候、なによりも受け難き人身値い難き仏法に値いて候に五尺の身に一尺の面あり其の面の中三寸の眼二つあり、一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なり、あさましき事は慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云く「言う所の頂とは諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に頂を以て之れに名づく乃至人の身の頂最も為勝るるが如し、乃至法華に云く是法住法位と今正しく此の秘密の理を顕説す、故に金剛頂と云うなり」云云、又云く「金剛は宝の中の宝なるが如く此の経も亦爾なり諸の経法の中に最為第一にして三世の如来の髻の中の宝なる故に」等云云、此の釈の心は法華最第一の経文を奪い取りて金剛頂経に付くるのみならず、如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり、此れ即ち鶴の頸を切つて蝦の頸に付けけるか真言の蟆も死にぬ法華経の鶴の御頸も切れぬと見え候、此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ、三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。

究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらさんなり、一乗のかたき夢のごとく勘へ出して候、慈覚大師の御はかは・いづれのところに有りと申す事きこへず候、世間に云う御頭は出羽の国・立石寺に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか、明雲座主は義仲に頸を切られたり、天台座主を見候へば伝教大師は・さてをきまいらせ候いぬ、第一義真・第二円澄・此の両人は法華経を正とし真言を傍とせり、第三の座主・慈覚大師は真言を正とし法華経を傍とせり、其の已後代代の座主は相論にて思い定むる事無し、第五十五並びに