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日蓮大聖人・池田大作

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両人御中御書 
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両人御中御書

                    弘安二年 五十八歳御作

                    於身延

大国阿闍梨・えもんのたいう志殿等に申す、故大進阿闍梨の坊は各各の御計らいに有るべきかと存じ候に今に人も住せずなんど候なるはいかなる事ぞ、ゆづり状のなくばこそ・人人も計らい候はめ、くはしく・うけ給わり候へばべんの阿闍梨にゆづられて候よし・うけ給わり候き、又いぎあるべしとも・をぼへず候、それに御用いなきは別の子細の候か其の子細なくば大国阿闍梨・大夫殿の御計らいとして弁の阿闍梨の坊へこぼちわたさせ給い候へ、心けんなる人に候へば・いかんが・とこそをもい候らめ、弁の阿闍梨の坊をすりしてひろくもらずば諸人の御ために御たからにてこそ候はんずらむめ、ふゆはせうまうしげし、もしやけなばそむと申し人もわらいなん、このふみついて両三日が内に事切て各各御返事給び候はん、恐恐謹言。

  十月廿日                      日蓮花押

   両人御中

   ゆづり状をたがうべからず


右衛門太夫殿御返事

抑久しく申し承らず候の処に御文到来候い畢んぬ、殊にあをきうらの小袖一・ぼうし一・をび一すぢ・鵞目一貫文・くり一籠たしかにうけとり・まいらせ候、当今は末法の始の五百年に当りて候、かかる時刻に上行菩薩・御出現あつて南無妙法蓮華経の五字を日本国の一切衆生にさづけ給うべきよし経文分明なり、又流罪死罪に行わるべきよし明かなり、日蓮は上行菩薩の御使にも似たり此の法門を弘むる故に、神力品に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云、此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり、経に云く「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」云云、貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。

  弘安二年己卯十二月三日               日蓮花押

   右衛門太夫殿御返事


大夫志殿御返事

                    弘安三年 五十九歳御作

小袖一つ直垂三具・同じく腰三具等云云、小袖は七貫・直垂並びに腰は十貫・已上十七貫文に当れり、夫れ以れば天台大師の御位を章安大師顕して云く「止観の第一に序文を引いて云く安禅として化す、位五品に居したまえり、故に経に云く四百万億那由佗の国の人に施すに一一に皆七宝を与え又化して六通を得しむるすら初随喜の人に如ざること百千万倍せり況や五品をや、文に云く即如来の使なり如来の所遣として如来の事を行ず」等云云、伝教大師天台大師を釈して云く「今吾が天台大師は法華経を説き法華経を釈し群に特秀し唐に独歩す」云云、又云く「明かに知んぬ如来の使なり讃むる者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」と云云、是の如きは且らく之を置く、滅後一日より正像二千余年の間・仏の御使二十四人なり、所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は末田地・第四は商那和修・第五は毱多・第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は毘羅・第十四は竜樹・第十五は提婆・第十六は羅睺・第十七は僧佉難提・第十八は僧佉耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者、此の二十四人は金口の記する所の付法蔵経に載す、但し小乗・権大乗経の御使なりいまだ法華経の御使にはあらず、三論宗の云く「道朗吉蔵は仏の使なり」法相宗の云く「玄奘慈恩は仏の使なり」華厳宗の云く「法蔵・澄観は仏の使なり」真言宗の云く「善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使なり」

日蓮之を勘えて云く全く仏の使に非ず全く大小乗の使にも非ず、之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん、問う汝の自義か答えて云く設い自義為りと雖も有文有義ならば何の科あらん、然りと雖も釈有り伝教大師云