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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (29/43) 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は…
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御義口伝に云く法華の行者は男女共に如来なり煩悩即菩提生死即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云。

第五 是法華経蔵深固幽遠無人能到の事

御義口伝に云く是法華経蔵とは題目なり深固とは本門なり幽遠とは迹門なり無人能到とは謗法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無人能到の者に非ざるなり云云。

第六 聞法信受随順不逆の事

御義口伝に云く聞とは名字即なり法とは題目なり信受とは受持なり随順不逆とは本迹二門に随順するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。

第七 衣座室の事

御義口伝に云く衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり、豈一念に三軌を具足するに非ずや。

第八 欲捨諸懈怠応当聴此経の事

御義口伝に云く諸の懈怠とは四十余年の方便の経教なり悉く皆懈怠の経なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは是れ即ち精進なり応当聴此経は是なり、応に日蓮に此の経を聞くべしと云えり云云。


第九 不聞法華経去仏智甚遠の事

御義口伝に云く不聞とは謗法なり成仏の智を遠ざかるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏智開悟の者にして成仏の近き故なり。

第十 若説此経時有人悪口罵加刀杖瓦石念仏故応忍の事

御義口伝に云く此経とは題目なり悪口とは口業なり加刀杖は身業なり此の身口の二業は意業より起るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏勅を念ずるが故に応忍とは云うなり。

第十一 及清信士女供養於法師の事

御義口伝に云く士女とは男女なり法師とは日蓮等の類いなり清信とは法華経に信心の者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云、此れ諸天善神等・男女と顕れて法華経の行者を供養す可しと云う経文なり。

第十二 若人欲加悪刀杖及瓦石則遣変化人為之作衛護の事

御義口伝に云く変化人とは竜口守護の八幡大菩薩なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を守護す可しと云う経文なり。

第十三 若親近法師速得菩薩道の事

御義口伝に云く親近とは信受の異名なり法師とは日蓮等の類いなり菩薩とは仏果を得る下地なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。

第十四 随順是師学の事


御義口伝に云く是師とは日蓮等の類いなり学とは南無妙法蓮華経なり随順とは信受なり云云。

第十五 師と学との事

御義口伝に云く日蓮等の類いの南無妙法蓮華経は学者の一念三千なり師も学も共に法界三千の師学なり。

第十六 得見恒沙仏の事

御義口伝に云く見恒沙仏とは見宝塔と云う事なり、恒沙仏とは多宝の事なり多宝の多とは法界なり宝とは一念三千の開悟なり法界を多宝仏と見るを見恒沙仏と云うなり、故に法師品の次に宝塔品は来るなり解行証の法師の乗物は宝塔なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは妙解妙行妙証の不思議の解・不思議の行・不思議の証得なり真実一念三千の開悟なり云云、此の恒沙と云うは悪を滅し善を生ずる河なり、恒沙仏とは一一文文皆金色の仏体なり見の字之を思う可し仏見と云う事なり、随順とは仏知見なり得見の見の字と見宝塔の見とは依正の二報なり得見恒沙の見は正報なり見宝塔の見は依報なり云云。

       宝塔品廿箇の大事

第一 宝塔の事

文句の八に云く前仏已に居し今仏並に座す当仏も亦然なりと。

御義口伝に云く宝とは五陰なり塔とは和合なり五陰和合を以て宝塔と云うなり、此の五陰和合とは妙法の五字なりと見る是を見とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は見宝塔なり。

第二 有七宝の事

御義口伝に云く七宝とは聞・信・戒・定・進・捨・慙なり、又云く頭上の七穴なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経