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日蓮大聖人・池田大作

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報恩抄  (6/37) 付法蔵の人人は四依の菩薩・仏の御使なり提婆…
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り如意論師はおもひじにに死す。

此れ等は正法・一千年の内なり、像法に入つて五百年・仏滅後・一千五百年と申せし時漢土に一人の智人あり始は智顗・後には智者大師とがうす、法華経の義をありのままに弘通せんと思い給しに天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども詮して十流となりぬ所謂南三北七なり十流ありしかども一流をもて最とせり、所謂南三の中の第三の光宅寺の法雲法師これなり、此の人は一代の仏教を五にわかつ其の五の中に三経をえらびいだす、所謂華厳経・涅槃経・法華経なり一切経の中には華厳経第一・大王のごとし涅槃経第二・摂政関白のごとし第三法華経は公卿等のごとし此れより已下は万民のごとし、此の人は本より智慧かしこき上慧観・慧厳・僧柔・慧次なんど申せし大智者より習ひ伝え給るのみならず南北の諸師の義をせめやぶり山林にまじわりて法華経・涅槃経・華厳経の功をつもりし上梁の武帝召し出して内裏の内に寺を立て光宅寺となづけて此の法師をあがめ給う、法華経をかうぜしかば天より花ふること在世のごとし、天鑒五年に大旱魃ありしかば此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいらせしに薬草喩品の其雨普等・四方倶下と申す二句を講ぜさせ給いし時・天より甘雨下たりしかば天子御感のあまりに現に僧正になしまいらせて諸天の帝釈につかえ万民の国王ををそるるがごとく我とつかへ給いし上或人夢く此人は過去の灯明仏の時より法華経をかうぜる人なり、法華経の疏四巻あり此の疏に云く「此経未だ碩然ならず」亦云く「異の方便」等云云、正く法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候、此の人の御義・仏意に相ひ叶ひ給いければこそ天より花も下り雨もふり候けらめ、かかるいみじき事にて候しかば漢土の人人さては法華経は華厳経・涅槃経には劣にてこそあるなれと思いし上新羅・百済・高麗・日本まで此の疏ひろまりて大体一同の義にて候しに法雲法師・御死去ありていくばくならざるに梁の末・陳の始に智顗法師と申す小僧出来せり、南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども師の義も不審にありけるかのゆへに一切経蔵に入つて度度御らん


ありしに華厳経・涅槃経・法華経の三経に詮じいだし此の三経の中に殊に華厳経を講じ給いき、別して礼文を造りて日日に功をなし給いしかば世間の人おもわく此人も華厳経を第一とおぼすかと見えしほどに法雲法師が一切経の中に華厳第一・涅槃第二・法華第三と立てたるがあまりに不審なりける故に・ことに華厳経を御らんありけるなり、かくて一切経の中に法華第一・涅槃第二・華厳第三と見定めさせ給いてなげき給うやうは如来の聖教は漢土にわたれども人を利益することなしかへりて一切衆生を悪道に導びくこと人師の悞によれり、例せば国の長とある人・東を西といゐ天を地といゐいだしぬれば万民は・かくのごとくに心うべし、後にいやしき者出来して汝等が西は東・汝等が天は地なりといはば・もちうることなき上我が長の心に叶わんがために今の人を・のりうちなんどすべしいかんがせんとは・おぼせしかども・さてもだすべきにあらねば光宅寺の法雲法師は謗法によつて地獄に堕ちぬとののしられ給う、其の時・南北の諸師はちのごとく蜂起しからすのごとく烏合せり、智顗法師をば頭をわるべきか国ををうべきかなんど申せし程に陳主此れを・きこしめして南北の数人に召し合せて我と列座してきかせ給いき、法雲法師が弟子等の慧栄・法歳・慧曠・慧暅なんど申せし僧正・僧都・已上の人人・百余人なり各各・悪口を先とし眉をあげ眼をいからし手をあげ柏子をたたく、而れども智顗法師は末座に坐して色を変ぜず言を悞らず威儀しづかにして諸僧の言を一一に牒をとり言ごとに・せめかえす、をしかへして難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥かに明かなる証文を出ださせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし。

重ねてせめて云く無量義経に正しく次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空等云云、仏我と華厳経の名をよびあげて無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う法華経に劣りて候・無量義経に華厳経はせめられて候ぬいかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候けるぞ各各・御師の御かたうどせんとをぼさば此の経文をやぶりて此れ


に勝れたる経文を取り出だして御師の御義を助け給えとせめたり。

又涅槃経を法華経に勝るると候けるは・いかなる経文ぞ涅槃経の第十四には華厳・阿含・方等・般若をあげて涅槃経に対して勝劣は説れて候へどもまつたく法華経と涅槃経との勝劣はみへず、次上の第九の巻に法華経と涅槃経との勝劣分明なり、所謂経文に云く「是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞・記莂を受くることを得て大菓実を成ずるが如き秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云、経文明に諸経をば春夏と説かせ給い涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位・涅槃経をば秋の末・冬の始捃拾の位と定め給いぬ、此の経文正く法華経には我が身劣ると承伏し給いぬ、法華経の文には已説・今説・当説と申して此の法華経は前と並との経経に勝れたるのみならず後に説かん経経にも勝るべしと仏定め給う、すでに教主釈尊かく定め給いぬれば疑うべきにあらねども我が滅後はいかんかと疑いおぼして東方・宝浄世界の多宝仏を証人に立て給いしかば多宝仏・大地よりをどり出でて妙法華経・皆是真実と証し十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給い広長舌を大梵天に付け又教主釈尊も付け給う、然して後・多宝仏は宝浄世界えかへり十方の諸仏各各本土にかへらせ給いて後多宝分身の仏もおはせざらんに教主釈尊・涅槃経をといて法華経に勝ると仰せあらば御弟子等は信ぜさせ給うべしやとせめしかば日月の大光明の修羅の眼を照らすがごとく漢王の剣の諸侯の頸にかかりしがごとく両眼をとぢ一頭を低れたり、天台大師の御気色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし鷹鷲の鳩雉をせめたるににたり、かくのごとくありしかば・さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと震旦一国に流布するのみならずかへりて五天竺までも聞へ月氏・大小の諸論も智者大師の御義には勝れず教主釈尊・両度出現しましますか仏教二度あらはれぬとほめられ給いしなり。

其の後天台大師も御入滅なりぬ陳隋の世も代わりて唐の世となりぬ章安大師も御入滅なりぬ、天台の仏法やう