Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

下山御消息  (4/22) 如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千…
346

而るを初心の行者・深位の菩薩の様に彼彼の経経と法華経とを並べて行ずれば不正直の者となる、世間の法にも賢人は二君に仕へず貞女は両夫に嫁がずと申す是なり、又私に異議を申すべきにあらず。

如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千年・像法一千年・末法一万年が間我が法門を弘通すべき人人並に経経を一一にきりあてられて候、而るに此を背く人世に出来せば設い智者賢王なりとも用うべからず、所謂・我が滅後の次の日より正法五百年の間は一向小乗経を弘通すべし迦葉・阿難乃至富那奢等の十余人なり、後の五百年には権大乗経の内華厳・方等・深密・般若・大日経・観経・阿みだ経等を弥勒菩薩・文殊師利菩薩・馬鳴菩薩・竜樹菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の四依の大菩薩等の大論師弘通すべしと云云、此れ等の大論師は法華経の深義を知し食さざるにあらず然而法華経流布の時も来らざる上・釈尊よりも仰せ付けられざる大法なれば心には存じて口に宣べ給はず或時は粗口に囀る様なれども実義をば一向に隠して演べ給はず、像法一千年の内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土日本に渡り来る世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり、所謂・迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是なり、今の時は世すでに上行菩薩等の御出現の時剋に相当れり、而るに余愚眼を以てこれを見るに先相すでにあらはれたるか、而るに諸宗所依の華厳・大日・阿みだ経等は其の流布の時を論ずれば正法一千年の内・後の五百年乃至像法の始めの諍論の経経なり、而るに人師等・経経の浅深・勝劣等に迷惑するのみならず仏の譲り状をもわすれ時機をも勘へず猥りに宗宗を構え像末の行となせり、例せば白田に種を下だして玄冬に穀をもとめ下弦に満月を期し夜中に日輪を尋ぬる如し、何に況や律宗なんど申す宗は一向小乗なり月氏には正法一千年の前の五百年の小法又日本国にては像法の中比・法華経天台宗の流布すべき前に且らく機を調養せむがためなり、例せば日出でんとて明星前に立ち雨下


らむとて雲先おこるが如し、日出雨下て後の星雲はなにかせん而るに今は時過ぬ又末法に入りて之を修行せば重病に軽薬を授け大石を小船に載するが如し修行せば身は苦く暇は入りて験なく華のみ開きて菓なからん、故に教大師・像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内・其の中・円頓の戒壇を叡山に建立し給いし時二百五十戒忽に捨て畢んぬ、随つて又鑑真の末の南都七大寺の一十四人・三百余人も加判して大乗の人となり一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ、其の授戒の書を見る可し分明なり。

而るを今邪智の持斎の法師等昔し捨てし小乗経を取り出して一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有つて公家武家を誑惑して国師とののしる剰我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなづる、例せば狗犬が師子を吠え猿猴が帝釈をあなづるが如し、今の律宗の法師原は世間の人人には持戒実語の者の様には見ゆれども其の実を論ぜば天下第一の大不実の者なり、其の故は彼等が本文とする四分律・十誦律等の文は大小乗の中には一向小乗・小乗の中にも最下の小律なり、在世には十二年の後・方等大乗へうつる程の且くのやすめ言滅後には正法の前の五百年は一向小乗の寺なり此れ亦・一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり、されば日本国には像法半に鑑真和尚大乗の手習とし給う教大師・彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりことし宗をば失うべしといへども後に事の由を知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたすけをき給う、而るに今の学者等は此の由を知らずして六宗は本より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し、又一類の者等天台の才学を以て見れば我が律宗は幼弱なる故に漸漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給いて天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ万民は又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる、手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼き失い抜目鳥にあらざれども一切衆生の眼を抜きぬ仏の記し給ふ阿羅漢に似たる闡提是なり、涅槃経に云く「我


涅槃の後無量百歳に四道の聖人も悉く復涅槃せん正法滅して後像法の中に於いて当に比丘有るべし、持律に似像し少く経を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん、乃至袈裟を服すと雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如く外には賢善を現し内には貪嫉を懐き唖法を受けたる婆羅門等の如く実に沙門に非ずして沙門の像を現し邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云、此の経文に世尊未来を記し置き給う。抑釈尊は我等がためには賢父たる上明師なり聖主なり、一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て未来悪世を鑑み給いて記し置き給う記文に云く「我涅槃の後無量百歳」云云仏滅後二千年已後と見へぬ、又「四道の聖人悉く復涅槃せん」云云、付法蔵の二十四人を指すか、「正法滅後」等云云像末の世と聞えたり、「当に比丘有るべし持律に似像し」等云云今末法の代に比丘の似像を撰び出さば日本国には誰の人をか引き出して大覚世尊をば不妄語の人とし奉るべき、俗男俗女比丘尼をば此の経文に載たる事なし但比丘計なり比丘は日本国に数を知らず、然るに其の中に三衣一鉢を身に帯せねば似像と定めがたし唯持斎の法師計相似たり一切の持斎の中には次下の文に持律ととけり律宗より外は又脱ぬ、次下の文に「少し経を読誦す」云云相州鎌倉の極楽寺の良観房にあらずば誰を指し出だし経文をたすけ奉るべき、次下の文に「猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如く外には賢善を現し内には貪嫉を懐く」等云云両火房にあらずば誰をか三衣一鉢の猟師伺猫として仏説を信ず可し、哀れなるかな当時の俗男・俗女・比丘尼等・檀那等が山の鹿・家の鼠となりて猟師・猫に似たる両火房に伺われたぼらかされて今生には守護国土の天照太神・正八幡等にすてられ他国の兵軍にやぶられて猫の鼠を捺え取るが如く猟師の鹿を射死が如し、俗男・武士等は射伏・切伏られ俗女は捺え取られて他国へおもむかん王昭君・楊貴妃が如くになりて後生には無間大城に一人もなく趣くべし。

而るを余・此の事を見る故に彼が檀那等が大悪心をおそれず強盛にせむる故に両火房・内内諸方に讒言を企てて