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日蓮大聖人・池田大作

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撰時抄  (25/37) 我が師・伝教大師はいまだ此の事をばくはしく…
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土宗・禅宗は余国にてはひろまるとも日本国にしては延暦寺のゆるされなからんには無辺劫はふとも叶うまじかりしを安然和尚と申す叡山第一の古徳・教時諍論と申す文に九宗の勝劣を立てられたるに第一真言宗・第二禅宗・第三天台法華宗・第四華厳宗等云云、此の大謬釈につひて禅宗は日本国に充満してすでに亡国とならんとはするなり法然が念仏宗のはやりて一国を失わんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり、師子の身の中の虫の師子を食うと仏の記し給うはまことなるかなや。

伝教大師は日本国にして十五年が間・天台真言等を自見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審をはらさんがために漢土に亘りて天台真言の二宗を伝へ給いし時漢土の人人はやうやうの義ありしかども我が心には法華は真言にすぐれたりとをぼしめししゆへに真言宗の宗の名字をば削らせ給いて天台宗の止観・真言等かかせ給う、十二年の年分得度の者二人ををかせ給い、重ねて止観院に法華経・金光明経・仁王経の三部を鎮護国家の三部と定めて宣旨を申し下し永代・日本国の第一の重宝・神璽・宝剣・内侍所とあがめさせ給いき、叡山第一の座主・義真和尚・第二の座主・円澄大師までは此の義相違なし、第三の慈覚大師・御入唐・漢土にわたりて十年が間・顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう、又天台宗の人人・広修・惟蠲等にならはせ給いしかども心の内にをぼしけるは真言宗は天台宗には勝れたりけり、我が師・伝教大師はいまだ此の事をばくはしく習せ給わざりけり漢土に久しくもわたらせ給わざりける故に此の法門はあらうちにをはしけるやとをぼして日本国に帰朝し・叡山・東塔・止観院の西に総持院と申す大講堂を立て御本尊は金剛界の大日如来・此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻・已上十四巻をつくる、此の疏の肝心の釈に云く「教に二種有り一は顕示教謂く三乗教なり世俗と勝義と未だ円融せざる故に、二は秘密教謂く一乗教なり世俗と勝義と一体にして融する故に、秘密教の中に亦二種有り一には理秘密の教諸の華厳般若維摩法華涅槃等なり但


だ世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に、二には事理倶密教謂く大日教金剛頂経蘇悉地経等なり亦世俗と勝義との不二を説き亦真言密印の事を説く故に」等云云、釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給うに真言の三部経と法華とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり、しかれども密印と真言等の事法は法華経かけてをはせず法華経は理秘密・真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり、しかも此の筆は私の釈にはあらず善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせどもなをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑いをさんぜんとやをぼしけん、大師慈覚の伝に云く「大師二経の疏を造り功を成し已畢つて心中独り謂らく此の疏仏意に通ずるや否や若し仏意に通ぜざれば世に流伝せじ仍つて仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す五日の五更に至つて夢らく正午に当つて日輪を仰ぎ見弓を以て之を射る其の箭日輪に当つて日輪即転動す夢覚めての後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝うべし」等云云、慈覚大師は本朝にしては伝教・弘法の両家を習いきわめ異朝にしては八大徳並に南天の宝月三蔵等に十年が間・最大事の秘法をきわめさせ給える上二経の疏をつくり了り重ねて本尊に祈請をなすに智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給い、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給い・天台の座主を真言の官主となし真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間・碩学稲麻のごとし渇仰竹葦に同じ、されば桓武・伝教等の日本国・建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ官をなし寺をあづけ給ふ、仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり。

疑つて云く法華経を真言に勝ると申す人は此の釈をばいかがせん用うべきか又すつべきか、答う仏の未来を定めて云く「法に依つて人に依らざれ」竜樹菩薩の云く「修多羅に依れるは白論なり修多羅に依らざれば黒論なり」天台の云く「復修多羅と合せば録して之を用ゆ文無く義無きは信受すべからず」伝教大師云く「仏説に依憑して


口伝を信ずること莫れ」等云云、此等の経論釈のごときんば夢を本にはすべからずただついさして法華経と大日経との勝劣を分明に説きたらん経論の文こそたいせちに候はめ、但印真言なくば木画の像の開眼の事・此れ又をこの事なり真言のなかりし已前には木画の開眼はなかりしか、天竺・漢土・日本には真言宗已前の木画の像は或は行き或は説法し或は御物言あり、印・真言をもて仏を供養せしよりこのかた利生もかたがた失たるなり、此れは常の論談の義なり、此の一事にをひては但し日蓮は分明の証拠を余所に引くべからず慈覚大師の御釈を仰いで信じて候なり。

問うて云く何にと信ぜらるるや、答えて云く此の夢の根源は真言は法華経に勝ると造定めての御ゆめなり、此の夢吉夢ならば慈覚大師の合せさせ給うがごとく真言勝るべし、但日輪を射るとゆめにみたるは吉夢なりというべきか、内典五千七千余巻外典三千余巻の中に日を射るとゆめに見て吉夢なる証拠をうけ給わるべし、少少此れより出し申さん阿闍世王は天より月落るとゆめにみて耆婆大臣に合せさせ給しかば大臣合せて云く仏の御入滅なり須抜多羅天より日落るとゆめにみる我とあわせて云く仏の御入滅なり、修羅は帝釈と合戦の時まづ日月をいたてまつる、夏の桀・{殷}(いん)の紂と申せし悪王は常に日をいて身をほろぼし国をやぶる、摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば日種という、日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり、されば此のゆめは天照太神・伝教大師・釈迦仏・法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ、日蓮は愚癡の者なれば経論もしらず但此の夢をもつて法華経に真言すぐれたりと申す人は今生には国をほろぼし家を失ひ後生にはあび地獄に入るべしとはしりて候、今現証あるべし日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとおもひ候なん、但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが調伏せられ給し権の大夫殿はかたせ給い、後鳥羽院は隠岐の国へ御子の天子は佐渡