Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

諸経と法華経と難易の事  (2/2) 仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば…
992

を随えたるが如きなり、日蓮此の義に付て大日経・華厳経・涅槃経等を勘え見候に皆随他意の経経なり、問うて云く其の随他意の証拠如何、答えて云く勝鬘経に云く「非法を聞くこと無き衆生には人天の善根を以て之を成熟す声聞を求むる者には声聞乗を授け縁覚を求むる者には縁覚乗を授け大乗を求むる者には授くるに大乗を以てす」と云云、易信易解の心是なり、華厳・大日・般若・涅槃等又是くの如し「爾の時に世尊・薬王菩薩に因せて八万の大士に告げたまわく薬王汝是の大衆の中の無量の諸天・竜王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者・辟支仏を求むる者・仏道を求むる者を見るや、是くの如き等類咸く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて一念も随喜する者には我皆記を与え授く当に阿○菩提を得べし」文、諸経の如くんば人は五戒・天は十善・梵は慈悲喜捨・魔王には一無遮・比丘の二百五十・比丘尼の五百戒・声聞の四諦・縁覚の十二因縁・菩薩の六度・譬へば水の器の方円に随い象の敵に随つて力を出すがごとし、法華経は爾らず八部・四衆皆一同に法華経を演説す、譬へば定木の曲りを削り師子王の剛弱を嫌わずして大力を出すがごとし。

此の明鏡を以て一切経を見聞するに大日の三部・浄土の三部等隠れ無し、而るを・いかにやしけん弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に此の義すでに隠没して日本国四百余年なり、珠をもつて石にかへ栴檀を凡木にうれり、仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり、幸なるは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり、委細に旨又又申す可く候、恐恐。

  五月廿六日                     日蓮花押

   富木殿御返事


富城入道殿御返事

                    弘安四年十月 六十歳御作

                   与 富木胤継  於身延

今月十四日の御札同じき十七日到来、又去ぬる後の七月十五日の御消息同じき二十比到来せり、其の外度度の貴札を賜うと雖も老病為るの上又不食気に候間未だ返報を奉らず候条其の恐れ少からず候、何よりも去ぬる後の七月御状の内に云く鎮西には大風吹き候て浦浦・島島に破損の船充満の間乃至京都には思円上人・又云く理豈然らんや等云云、此の事別して此の一門の大事なり総じて日本国の凶事なり仍つて病を忍んで一端是れを申し候はん、是偏に日蓮を失わんと為て無かろう事を造り出さん事兼て知る、其の故は日本国の真言宗等の七宗・八宗の人人の大科今に始めざる事なり然りと雖も且く一を挙げて万を知らしめ奉らん、去ぬる承久年中に隠岐の法皇義時を失わしめんが為に調伏を山の座主・東寺・御室・七寺・園城に仰せ付けられ、仍つて同じき三年の五月十五日鎌倉殿の御代官・伊賀太郎判官光末を六波羅に於て失わしめ畢んぬ、然る間同じき十九日二十日鎌倉中に騒ぎて同じき二十一日・山道・海道・北陸道の三道より十九万騎の兵者を指し登す、同じき六月十三日其の夜の戌亥の時より青天俄に陰りて震動雷電して武士共首の上に鳴り懸り鳴り懸りし上・車軸の如き雨は篠を立つるが如し、爰に十九万騎の兵者等・遠き道は登りたり兵乱に米は尽きぬ馬は疲れたり在家の人は皆隠れ失せぬ冑は雨に打たれて緜の如し、武士共宇治勢多に打ち寄せて見ければ常には三丁四丁の河なれども既に六丁・七丁・十丁に及ぶ、然る間・一丈・二丈の大石は枯葉の如く浮び五丈・六丈の大木流れ塞がること間無し、昔利綱・高綱等が渡せし時には似る可くも無し武士之を見て皆臆してこそ見えたりしが、然りと雖も今日を過さば皆心を飜し堕ちぬ可し去る故に馬筏を作りて之を渡す処・或は百騎・或は千万騎・此くの如く皆我も我もと度ると雖も・或は一丁或は二丁三丁


渡る様なりと雖も彼の岸に付く者は一人も無し、然る間・緋綴・赤綴等の甲其の外弓箭・兵杖・白星の冑等の河中に流れ浮ぶ事は猶長月神無月の紅葉の吉野・立田の河に浮ぶが如くなり、爰に叡山・東寺・七寺・園城寺等の高僧等之を聞くことを得て真言の秘法・大法の験とこそ悦び給いける、内裏の紫宸殿には山の座主・東寺・御室・五壇・十五壇の法を弥盛んに行われければ法皇の御叡感極り無く玉の厳を地に付け大法師等の御足を御手にて摩給いしかば大臣・公卿等は庭の上へ走り落ち五体を地に付け高僧等を敬い奉る。

又宇治勢田にむかへたる公卿・殿上人は冑を震い挙げて大音声を放つて云く義時・所従の毛人等慥に承われ昔より今に至るまで王法に敵を作し奉る者は何者か安穏なるや、狗犬が師子を吼えて其の腹破れざること無く修羅が日月を射るに其の箭還つて其の眼に中らざること無し遠き例は且く之を置く、近くは我が朝に代始まつて人王八十余代の間・大山の皇子・大石の小丸を始と為て二十余人王法に敵を為し奉れども一人として素懐を遂げたる者なし皆頸を獄門に懸けられ骸を山野に曝す関東の武士等・或は源平・或は高家等先祖相伝の君を捨て奉り伊豆の国の民為る義時が下知に随う故にかかる災難は出来するなり、王法に背き奉り民の下知に随う者は師子王が野狐に乗せられて東西南北に馳走するが如し今生の恥之れを何如、急ぎ急ぎ冑を脱ぎ弓弦をはづして参参と招きける程に、何に有りけん申酉の時にも成りしかば関東の武士等・河を馳せ渡り勝ちかかりて責めし間京方の武者共一人も無く山林に逃げ隠るるの間、四つの王をば四つの島へ放ちまいらせ又高僧・御師・御房達は或は住房を追われ或は恥辱に値い給いて今に六十年の間いまだ・そのはぢをすすがずとこそ見え候に、今亦彼の僧侶の御弟子達・御祈祷承はられて候げに候あひだいつもの事なれば秋風に纔の水に敵船・賊船なんどの破損仕りて候を大将軍生取たりなんど申し祈り成就の由を申し候げに候なり、又蒙古の大王の頸の参りて候かと問い給うべし、其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず御存知のためにあらあら申し候なり。