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日蓮大聖人・池田大作

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秋元御書  (8/8) 頭は剃る事なければうづらの如し、衣は冰にと…
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此れは後なり、前に西より東へ波木井河の内に一つの滝あり身延河と名けたり、中天竺の鷲峰山を此の処へ移せるか将又漢土の天台山の来れるかと覚ゆ、此の四山・四河の中に手の広さ程の平かなる処あり、爰に庵室を結んで天雨を脱れ・木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて身を養ひ秋は果を拾いて命を支へ候つる程に、去年十一月より雪降り積て改年の正月・今に絶る事なし、庵室は七尺・雪は一丈・四壁は冰を壁とし軒のつららは道場荘厳の瓔珞の玉に似たり、内には雪を米と積む、本より人も来らぬ上・雪深くして道塞がり問う人もなき処なれば現在に八寒地獄の業を身につくのへり、生きながら仏には成らずして又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり、頭は剃る事なければうづらの如し、衣は冰にとぢられて鴦鴛の羽を冰の結べるが如し、かかる処へは古へ眤びし人も問わず弟子等にも捨てられて候いつるに此の御器を給いて雪を盛りて飯と観じ水を飲んでこんずと思う、志のゆく所・思い遣らせ給へ又又申すべく候、恐恐謹言。

  弘安三年正月二十七日                日蓮花押

   秋元太郎兵衛殿御返事


兄弟抄

                    文永十二年四月 五十四歳御作

                    与 池上兄弟   於身延

夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり、三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ、今現に経蔵に入つて此れを見るに後漢の永平より唐の末に至るまで渡れる所の一切経論に二本あり、所謂旧訳の経は五千四十八巻なり、新訳の経は七千三百九十九巻なり、彼の一切経は皆各各・分分に随つて我第一なりとなのれり、然而法華経と彼の経経とを引き合せて之を見るに勝劣天地なり高下雲泥なり、彼の経経は衆星の如く法華経は月の如し彼の経経は燈炬・星月の如く法華経は大日輪の如し此れは総なり。

別して経文に入つて此れを見奉れば二十の大事あり、第一第二の大事は三千塵点劫五百塵点劫と申す二つの法門なり、其三千塵点と申すは第三の巻化城喩品と申す処に出でて候、此の三千大千世界を抹して塵となし東方に向つて千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し又千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し此くの如く三千大千世界の塵を下はてぬ、さてかえつて下せる三千大千世界と下さざる三千大千世界をともにおしふさねて又塵となし、此の諸の塵をもてならべをきて一塵を一劫として経尽しては、又始め又始めかくのごとく上の諸塵の尽し経たるを三千塵点とは申すなり、今三周の声聞と申して舎利弗・迦葉・阿難・羅云なんど申す人人は過去遠遠劫・三千塵点劫のそのかみ大通智勝仏と申せし仏の第十六の王子にてをはせし菩薩ましましき、かの菩薩より法華経を習いけるが悪縁にすかされて法華経を捨つる心つきにけり、かくして或は華厳経へをち或は般若経へをち或は大集経へをち或は涅槃経へをち或は大日経・或は深密経・或は観経等へをち或は阿含小乗経へをちなんどしけるほどに次第に


堕ちゆきて後には人天の善根・後に悪にをちぬ、かくのごとく堕ちゆく程に三千塵点劫が間、多分は無間地獄少分は七大地獄たまたまには一百余の地獄まれには餓鬼・畜生・修羅なんどに生れ大塵点劫なんどを経て人天には生れ候けり。

されば法華経の第二の巻に云く「常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」等云云、十悪をつくる人は等活黒繩なんど申す地獄に堕ちて五百生或は一千歳を経、五逆をつくれる人は無間地獄に堕ちて一中劫を経て後は又かへりて生ず、いかなる事にや候らん法華経をすつる人は・すつる時はさしも父母を殺すなんどのやうにをびただしくは・みへ候はねども無間地獄に堕ちては多劫を経候、設父母を一人・二人・十人・百人・千人・万人・十万人・百万人・億万人なんど殺して候とも・いかんが三千塵点劫をば経候べき、一仏・二仏・十仏・百仏・千仏・万仏乃至億万仏を殺したりとも・いかんが五百塵点劫をば経候べき、しかるに法華経をすて候いけるつみによりて三周の声聞が三千塵点劫を経・諸大菩薩の五百塵点劫を経候けること・をびただしくをぼへ候、せんするところは拳をもつて虚空を打てば・くぶしいたからず石を打てばくぶしいたし、悪人を殺すは罪あさし善人を殺すは罪ふかし或は他人を殺すは拳をもつて泥を打つがごとし父母を殺すは拳をもつて石を打つがごとし、鹿をほうる犬は頭われず師子を吠る犬は腸くさる日月をのむ修羅は頭七分にわれ仏を打ちし提婆は大地われて入りにき、所対によりて罪の軽重はありけるなり。

さればこの法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候けるゆへに三五の塵点をば経候けるなり此の法華経はさてをきたてまつりぬ又此の経を経のごとくにとく人に値うことは難にて候、設い一眼の亀の浮木には値うとも・はちすのいとをもつて須弥山をば虚空にかくとも法華経を経のごとく説く人にあひがたし。